早熟なデビューを遂げたアイリッシュ ARTURO HOLMES/GETTY IMAGES FOR ABA

<強烈な性表現が盛りだくさんのサード・アルバム。前作の、大成功を収めた「ハリウッド映画的な仰々しいバラード」を封印し、スーパースターはどこへ向かうのか?>

2019年、17歳のビリー・アイリッシュがデビューアルバムに付けたタイトルは、その中身を的確に言い表していた。

思春期の深層心理を総ざらいして、さまざまな恐怖の原因を拾い上げたアルバムのタイトルは『ホエン・ウィ・オール・フォール・アスリープ、ホエア・ドゥ・ウィ・ゴー?』(深い眠りに就いた後、私たちはどこへ行くのか)だった。

スーパースターに上り詰めた後、21年に2作目のアルバムに付けたタイトルは、いささか冷笑的に『ハピアー・ザン・エヴァー』(今までで一番幸せ)。だが、このタイトルは『スーパースターになった後、私たちはどこへ行くのか』のほうが自然だったかもしれない。

アイリッシュは、突然有名になり、誰も彼もが自分を食い物にしようとする状況に置かれたことによる「アイデンティティーの危機」を途方に暮れた表情で歌っていた。

今回リリースした3作目のアルバム『ヒット・ミー・ハード・アンド・ソフト』(強く、優しく私をたたいて)では、再びテーマが変わったのかもしれない。冒頭の曲「スキニー」の歌詞にあるように、「私は年齢相応に行動できている?」という問いが今作のテーマと言えそうだ。

『ハード・アンド・ソフト』は大人の作品だ。ただし、前作のようにハリウッド映画的な仰々しくてぎこちない古風なバラードが収録されているわけではない。

前作でそうしたスタイルに転換した結果、アイリッシュと、コラボレーターである兄のフィニアスは映画『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』と『バービー』でアカデミー歌曲賞を2度受賞した。

ただし、それと引き換えに、アイリッシュをポップミュージック界で息をのむほど新鮮な存在にしていた要素の多くは失われてしまった。

後半からはパワー全開

その点、今回の『ハード・アンド・ソフト』は等身大の人間らしさを取り戻している。20代前半特有の強烈な性的・感情的な要素が描かれているのだ。

もっとも、アルバム中盤のいくつかの曲はややありきたりだ。「バーズ・オブ・ア・フェザー」は美しいメロディーのラブソングで、サビもいいが、ほかの誰とも違うアイリッシュらしさはほとんど感じられない。

その前の「チヒロ」は、フィニアスの作曲とプロデュースこそ見事だが、宮崎駿監督のアニメ映画『千と千尋の神隠し』から着想を得たという歌詞は印象に残らない。

それでも、アルバムの後半には鮮烈な曲が並ぶ。6曲目の「ザ・グレイテスト」は、自分を大切に扱わない恋人に尽くしすぎたことを卑屈なまでに痛々しく独白する曲だ。

ここから後は、まさになんでもあり。さまざまな歌唱テクニックを駆使し、自由奔放な気まぐれに乗せる形で、持ち前の気難しいユーモア感覚を解き放っている。

最後の「ビタースイート」と「ブルー」では、このアルバムでそれまでに登場した曲と歌詞のモチーフの多くを再び取り上げている。おかげで、45分間のアルバムの中で多様性を表現しつつ、まとまりも生み出されている。

ただし、このアルバムの最大のハイライトは、性的な表現がふんだんに盛り込まれた2曲目の「ランチ」だ。アイリッシュは昨年、「男の子も女の子も好き」と打ち明けて騒動になった。この告白により、この曲で同性同士の性愛への賛歌を饒舌に歌い上げる道が開けたのだ。

ポップミュージックの世界は、これまでになく多様な性的指向を受け入れるようになっている。それでも、アイリッシュほど10代に絶大な人気を誇る女性アーティストが、性的マイノリティーの愛と性的欲求を正面から取り上げたのは異例のことと言っていいだろう。

「ランチ」のミュージックビデオで、アイリッシュはデビュー当時に好んだヒップホップ風の服装で登場する。思い返すと、当時の彼女に新鮮さを感じた要素の1つは、堂々と、しかしさりげなく、同時代のヒップホップの影響を受けており、それがぎこちない印象や場違いな印象を与えなかったことだった。

カリフォルニアのティーンエージャーだった頃は、この点を自覚していなかったのかもしれない。しかし、成長したアイリッシュがそうした要素を和らげたことは、理解できる選択と言える。

ヒットは目指さない?

『ハード・アンド・ソフト』では、アイリッシュとフィニアスの兄妹が激動の日々を経てようやく落ち着きを取り戻し、前に進む方法を見いだしたという印象を受ける。

早熟なデビューを遂げた当初の倒錯的なインパクトが再現されないことに、不満を抱く人は常にいるだろう。しかし、昔をそっくりそのまま再現することが、そもそも不可能な場合もある。

今のアイリッシュは、ヒットを量産しようと躍起になっているようには全く見えない。インタビューの発言や歌詞の内容から判断すると、自分が既に十分すぎるくらい有名になったと感じていることは間違いなさそうだ。

少し人気が落ちるくらいが丁度いいと思っているのかもしれない。こうした態度のみから判断しても、商業的に同じくらい成功している年長のアーティストたちよりも成熟しているように見える。

アイリッシュとフィニアスには、次回作までにじっくり時間を取ってほしい。子供の身長を記した家の柱の傷が少しずつ高い位置に移っていくように、新作をリリースするたびに成長していってほしいからだ。

アイリッシュの身長は160センチ程度で変わらないだろうが、彼女は巨大な存在になる可能性を秘めている。

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