建築家の槙文彦さん=東京都渋谷区で2013年5月13日、内藤絵美撮影

 建築界のノーベル賞とされる米プリツカー賞を受賞した世界的建築家で、千葉市の幕張メッセや米国の同時多発テロ現場跡地に建設された「4ワールドトレードセンター」、東京の代官山ヒルサイドテラスなどの設計で知られる槙文彦(まき・ふみひこ)さんが6日、老衰のため死去した。95歳。葬儀は近親者で営んだ。お別れの会を後日開く予定。

 東京都生まれ、東京大建築学科卒。同大の丹下健三研究室を経て渡米し、ハーバード大大学院を修了した。1960年、黒川紀章さんらが結成した前衛建築運動「メタボリズム」(新陳代謝)グループに加わった。62年、名古屋大豊田講堂で日本建築学会賞、68年度に立正大熊谷校舎で毎日芸術賞を受賞した。

 快適な都市空間を目指し、60年代後半から四半世紀にわたって取り組んだ代官山ヒルサイドテラスは、住宅や店舗の間に日本的な路地や広場を挟み込み、集落を思わせる街並みを実現。80年代以降、「スパイラル」ビル(85年・東京)や京都国立近代美術館(86年)、幕張メッセ(89年)、東京体育館(90年)など、地域のランドマークとなる大型建築を次々と設計。近年では、横浜市庁舎(2020年)の意匠設計も担った。海外でも多数のプロジェクトを手がけ、米国の同時多発テロの跡地に建設された超高層ビル「4ワールドトレードセンター」(13年)も担当した。

 モダニズムに根ざす理知的で端正な作風は国際的に高く評価され、93年に米プリツカー賞。79~89年には東大教授を務め、後進を育成した。文化功労者、日本芸術院会員。著書に「見えがくれする都市」(共著)、「漂うモダニズム」など。

 20年東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場となった国立競技場の建設計画については、当初のザハ・ハディドさんによる案に対し、異議を唱える論文を13年に発表。巨大さや景観への影響など問題点を指摘し、世論を喚起した。同計画は巨額に膨れ上がった建設費が批判を浴び、見直しに追い込まれた。

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