KTNが開局した1969年=昭和44年から撮影してきた映像とともに、長崎の歴史を振り返る「タイムトラベル長崎」。今回は長崎と中国の「パンダ」の交流にスポットを当てる。

2本足で歩く世界唯一のパンダ来崎

その愛くるしい姿でいまも昔も多くの人を魅了するパンダ。35年前の1989年の6月12日、サーカス公演のため長崎入りしたのは中国上海雑技団のメスパンダ「チャオチャオ」だ。

サーカス公演のため長崎入りしたチャオチャオ
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この4日後から長崎公演が始まり、KTNは特別番組で放送した。

中国上海雑技団は1989年の3月から高い身体能力を駆使したアクロバティックな演技や動物の曲芸などを披露し、全国各地で90公演を行ってきた。

階段を2本足で昇るチャオチャオ

雑技団のスーパースター「チャオチャオ」は公演の疲れも見せず、当時2本足で歩くことができる世界で唯一のパンダとして数々の芸を披露した。

ステージ上でオートバイに乗るチャオチャオ

「チャオチャオ」は動物園で生まれ、生後半年から調教された。公演中は京都から運ばれてくる笹の葉を1日12キロ食べていたという。

パンダが長崎にやってきたのは実はこの年が初めてではなかった。

スターパンダの長崎初公演

「チャオチャオ」が来る8年前の1981年。当時中国で「生きた国宝」と称され、演技をするパンダとして来日し、長崎で公演を行ったのはオスパンダの「ウェイウェイ」だった。

日本のCMにも出演し大人気だった「ウェイウェイ」

「ウェイウェイ」は木馬乗りや玉回しなど妙技を披露。日本のマーガリンのCMにも起用され一躍日本中の人気者になった輝かしい経歴も持つスターパンダだった。3日間の公演で大変な人気を集めたパンダサーカスだが、もともとは長崎で行われる予定はなかった。

パンダを長崎へ!舞台裏

当時の記録が長崎県日中親善協議会の資料に残されていた。

長崎県日中親善協議会ニュース(1981年4月発行)

「協議会では来日公演に長崎がない情報をキャッチ、上海市人民政府をはじめ、中国関係機関などに要請、その後日本公演を一週間延長し、長崎公演を実施することになった」           (「長崎県日中親善協議会ニュース」より・1981年4月発行)

ラッパを吹くウェイウェイ

KTNを含むテレビ局や新聞社などが実行委員会となりサーカスの受け入れ準備をすすめ、長崎公演が実現した。 日中友好の架け橋として1972年に東京・上野動物園にパンダが来日して以降日本で巻き起こったパンダブーム。関係者たちのパンダへの熱い思いがスターパンダの初来崎に繋がった。

中国のパンダを日本全国へ生放送

パンダとKTNとの縁はその後も続いた。KTNは1983年にパンダの本場・中国の上海動物園から生中継を行った。

1983年中国・上海動物園から生中継

41年前、現地でリポートを担当した元KTNアナウンサーの浦里さんに当時の状況を聞いた。

1983年当時を語る元KTNアナウンサー浦里和弘さん

元KTNアナウンサー 浦里和弘さん:パンダを生で見たのは初めてだった。日本ではガラス越しで展示物としてみるが(上海動物園は)ガラス越しではない。フィルターがない状態で見ることは生きているものをそのまま見ている感じ。実際にパンダに触らせてもらった。やわらかいフワフワしているイメージだったが、ごわごわだった

上海のテレビ局とKTNのスタッフ(1983年)

中国のパンダの映像は現地のテレビ局とKTNがタッグを組み、日本で生放送。衛星中継の先駆けだった。

元KTNアナウンサー 浦里和弘さん:今は頻繁にどこでもやっているが当時衛星中継自体が珍しかった。長崎のローカル局と大きな上海のテレビ局が一緒になって中継をするのは面白かった。そういう意味では貴重な経験だった

木馬に乗るウェイウェイ

パンダブームとともに曲芸パンダが一世を風靡した1980年代。その後、動物愛護の観点からパンダの芸を見ることはできなくなった。しかしパンダは今も昔も人々の心を掴んで離さない存在であることに変わりはない。

現在、日本では飼育数が限られているためパンダに会える動物園は上野動物園と和歌山県のアドベンチャーワールドの2カ所だけとなっている(2024年6月12日現在)

(テレビ長崎)

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