[金平茂紀のワジワジー通信 2024](18)

 6月23日の沖縄慰霊の日は、日本にいる限り、沖縄で時間を過ごしてきた。日記を繰ってみたら、去年のこの日は石垣島で開かれた戦争マラリア犠牲者の追悼市民集会にいた。2016年の慰霊の日は、那覇で今は亡き2人の盟友と会って語り合っていた。「噂(うわさ)の真相」元編集長の岡留安則さんとRBC(琉球放送)の大盛伸二さんとだ。歳月は過ぎ去る。そして人もまた過ぎ去る。僕らは去っていった人たちから何を受け継ぎ、何をこれからの世代の人々に残していけるのだろうか。

 で、今年の慰霊の日も沖縄にいた。県議選での玉城デニー知事与党惨敗後の沖縄だ。平和祈念公園・全戦没者追悼式典の会場そばで、前日までハンガーストライキを決行していたガマフヤー・具志堅隆松さんにお会いするために、摩文仁の丘に出向いた。

 沖縄戦の犠牲者たちの遺骨交じりの土砂を海に投げ入れて、米軍新基地の埋め立て工事を進めようとすることに、体を張って抗議を続けている具志堅さんの意志が、会場内の岸田文雄首相に届いたとは到底思えない。首相はあいさつの中で「御遺骨の収集は、今もなお続いています」と素っ気なく述べた。

 具志堅さんは怒っていた。「テントを公園内に設営する際、沖縄県の援護課から、使用目的外のハンストや座り込み、集会、募金、署名活動を一切行うな、と条件を付けられましてね。まるで検閲ですよ」。チラシも用意したが「政府は南部遺骨土砂採取を断念せよ!」の文言はNG、「DNA鑑定の申請受付中」はOKとのこと。具志堅さんから5メートルくらい離れた場所に監視している沖縄県警の4人の警察官がいた。彼らの無線交信が耳に入った。「ガマフヤーのテント、現在異常なし」。

 僕はすぐに式典会場から那覇に引き返して、米軍統治下の沖縄で起きた悲劇をテーマにした演劇「ライカムで待っとく」(兼島拓也作、田中麻衣子演出)の舞台を見た。横浜での初演時と比べ、作品は格段の深化を遂げていた。いや、沖縄を取り巻く現実の方がより絶望的になっているから作品が深化したように思えたのかもしれない。

 「境界線は沖縄の中にあるんですよ」「内地からは沖縄はみえないです」「沖縄は近い将来また戦場になります」「この国が幸福になるため、どこかに犠牲が必要なんです」「1995年10月の県民集会の怒りが土砂に替えられて、今、埋め立て工事に使われているんです」。脳裏に突き刺さってきたうろ覚えのせりふを書き出してみても、心の中に生まれた放逐感は消えない。

 ある人物から「金平さん、こんな物を見つけましたよ」と、古い1冊の書籍をいただいた。沖縄本土復帰前の1969年11月に朝日新聞社から発行された『沖縄の孤島』という本。「…73の島々。本土復帰を前にわれわれはあまりにも沖縄の実情を知らな過ぎる」と帯文にある。当時の朝日新聞社の記者とカメラマンが四つのチームを組んで、沖縄本島ではない島々を取材に回ってまとめた本だ。

 伊平屋島、具志川島、伊江島、座間味島、久米島、久高島、南・北大東島、池間島、大神島、宮古島、石垣島、竹富島、鳩間島、西表島、新城島、波照間島、与那国島、そして尖閣諸島。本島とも異なる風土にあるそれらの島々。早速読んでみた。何と! 朝日新聞那覇支局に配属されていた筑紫哲也記者が、尖閣諸島に取材に入っていた! もう55年も前のことだ。

 当時、筑紫さんはまだ33歳。「馬に食わせるほど」(ご本人の弁)原稿を書いていた時期だ。尖閣諸島は当時も定住民がおらず、筑紫さんの文章によると「その島々の主人公は海鳥たちである」。当時の尖閣諸島は、台湾の漁師たちが自由に出入りしていて、海鳥の卵を乱獲していたことから、海鳥が絶滅する危機にあると筑紫さんは少し怒っていた。とはいえ、沖縄の人々と台湾の人々は尖閣諸島ではある意味で「共存」していた。

 この本には、与那国島の取材記もあり、台湾との交流が盛んで「遠い日本より近い台湾と合併した方がなんぼかましだ」との島民の声が紹介されていた。その昔、薩摩藩からの搾取に苦しんだ琉球王朝は、本島以外の島民に頭割りで人頭税を課していた。島の長は、人頭税を逃れるために非道な方法で人口を減らした。与那国島の西側にある久部良港にある岩の割れ目(久部良割り)。島の妊婦たちをその岩の割れ目に無理やり飛ばせて、転落した者は死亡、仮に飛び越えても流産などで子供が犠牲になったという。

 この本が書かれた当時の与那国島の人口は3300人。今はちょうど半分の1650人だ。与那国島には今、自衛隊が「台湾有事」を奇貨として、本土防衛の最前線基地にするかのように、ミサイル基地や軍港建設までが有無を言わせぬ力で推し進められている。『沖縄の孤島』出版のころには、誰も口に出さなかったことがある。自衛隊は旧日本軍のやったことを継承しているのではないか、と。

 筑紫さん、海鳥が絶滅するどころか、与那国島も石垣島も宮古島も、はるかにきなくさくなってしまいましたよ。そして、その空気に乗じて、まるで猿回しの猿のごとく、危機をあおる島々の長がいる。取材を続けよう、と心に誓った。(テレビ記者・キャスター)=随時掲載

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