奈良の平城京跡で見つかった、2600点の木簡から1300年前に行われた天皇即位の儀式、「大嘗祭」の当時の姿をひもとく手がかりが見つかりました。

「もちごめ」「かつお」「梨」この木簡は全て、1300年前、聖武天皇の「大嘗祭」に届いた供え物の”荷札”です。

【奈良文化財研究所 歴史史料研究室 山本崇室長】「奈良時代の大嘗祭に関しては詳細な記録が残っていませんので、非常に重要な資料群だと考えています」

大嘗祭は、即位した天皇が、五穀豊穣などを願って臨む、一世一代の重要な儀式。

応仁の乱の後、中断されましたが、江戸時代に復活。

現在の天皇陛下が即位された2019年にも、京都の米や、静岡のかつお節などが献上され執り行われました。

去年10月に始まった平城京跡にある「朱雀門」近くの発掘調査で出土した2600点にのぼる大量の木簡。

”大発見”となったのは、その中に「大嘗」という文字が見つかったためです。

【奈良文化財研究所 歴史史料研究室 山本崇室長】「大嘗祭に確実にかかわるまとまった荷札は今回が初めての例」

■研究所では木簡の泥を丁寧に落としながら調べている

そこで、1300年前の儀式の解明を任されたのが、これまで木簡から歴史を読み解いてきた奈良文化財研究所。

【垣中健志研究員】「こちらは国宝に指定されている木簡です。全部です」

研究所では、「大嘗祭」に関わる資料とみられる木簡の泥を、丁寧に落としながら調べています。

小さな木片も、木簡のひとつ。
パズルのように繋ぎ合わせて、文字を読み解くそうです。

【垣中健志研究員】「文字が見えない木簡は、赤外線を通すことによって何が書いてあるのか。『あ、無理です』という感覚が大事で辞典類で地名が載っている辞書もあるので知識も使いつつ、基本的にはまず筆の流れを追いかける」

■見つかった木簡の多くが現在の岡山県から届いたという

そうして、読み解いたのが…

“備中の国”

今回見つかった木簡の3分の2が、「備中国」=現在の岡山県から届いたものであることが分かりました。

日々、木簡と向き合っている研究者たちにとっても、今回の発見は特別なものだといいます。

【垣中健志研究員】「びっくりしました。そんなもの出るんだって。『大嘗』は文献の資料でしか見たことがない文字がまさか自分たちが発掘してる遺跡から木簡として見つかるのはすごく驚きました」

これまで大嘗祭は、残っている一番古い詳細な資料が、平安中期の10世紀に書かれたものとされていました。

今回見つかった木簡は、資料よりもおよそ200年古い奈良時代のもので、資料に書かれた供え物と、内容がほとんど一致したのです。

【奈良文化財研究所 歴史史料研究室 山本崇室長】「手がかりがなかったので、木簡の傾向を検討したり、物品をどう調達したか解明ができれば、奈良時代の大嘗祭の実態に近づけるのではないか」

現在、読み解けたのは見つかった木簡のうち6割程度で、今後、更なる発見もあるかもしれません。

■今回の発見で大嘗祭の初期の形式が伝統として守られていたことが分かった

奈良大学の渡辺教授は、今回の発見で、大嘗祭の初期の形式が平安時代まで約200年は伝統として守られていたことが分かったと話します。

現代の大嘗祭は、聖武天皇の大嘗祭とつながっているのではということも考えられるそうなんです。

【犬山紙子さん】「ロマンを感じますよね。6年前の大嘗祭をよく覚えています。読める漢字もありますし、現在との繋がりを感じます」

【関西テレビ・神崎博報道デスク】「書物では知られていましたが、奈良時代の荷札の現物、証拠が出てきたということで、まだ解読できていないものも含めて、今後分かってくるかもしれません」

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