家庭に入るのが女の幸せとされた時代。NHKの朝ドラ「虎に翼」で、主人公が人生の光を見つけたのは「明律大学女子部」だった。そのモデルとなった明治大学は、女性法律家を育てる学校の先駆け。歴史に名を刻む女性たちを世に送り出してきた。
- 「虎に翼」の時代を駆けぬけた久米先生 まちがっていた? その真意
「私もあの役をやりたかったですけど、やらせてもらえませんでした」
今春、明治大学で開かれた講演会。朝ドラの法律考証を担当する法学部の村上一博教授(法制史)が、そんな冗談で会場を沸かせた。
「あの役」とは、主人公の恩師となる法学者。そのモデルは、明治大で教えた穂積重遠だ。現在の司法試験を受けられるのは男性だけだった昭和初期、女性にもその道をひらくべきだと訴えた。
そんな穂積らが立役者となり、1929年、明治大専門部女子部法科が開校した。やがて弁護士法が改正され、女性が弁護士になれる時が来る――。93人が入学。中国や台湾、朝鮮半島などから留学生も受け入れた。
だが、初めての卒業生は54人だった。
開校したのは世界恐慌が始まった年。不況のなか、女性が高等教育を受け、職に就くことを歓迎しない空気があったという。入学者は翌年に36人、さらに5年後には21人に。36年、改正弁護士法が施行され、初めて女性が弁護士になるための試験に臨んだが、合格者は出なかった。学内では「女子部廃止」の声も出た。
復活の兆しが見えたのは37年。4期生の中田正子(1910~2002)が、女性として初めて筆記試験に合格した。口述試験は通らなかったものの、翌年、同じく4期生の三淵嘉子(1914~84)、5期生の久米愛(1911~76)とともに突破。40年、日本初の女性弁護士となった。その年から入学者数が盛り返した。
そうして守られた明治大の女子部法科から、数々の「女性初」が生まれた。裁判官となった石渡満子(1905~74)、高裁長官となった野田愛子(1924~2010)、法学博士となった立石芳枝(1910~83)……。
後身となる短期大学は2006年に閉学となった。村上教授は講演で、三淵が創立50周年のとき、学生に残した言葉を紹介した。
「日本の女性史の中では、非常に早くから目覚めた人たちが、あなたたちの先輩として、今の日本の社会の中で働いているということをもう一度覚えておいていただきたい」(花房吾早子)
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