TBSで放映中のヒューマン政治サスペンスドラマ『笑うマトリョーシカ』。同名の原作を手がけた小説家・早見和真さんにインタビュー。ドラマでは、かつて同じ四国・松山の名門高校に通い、青年になり若き政治家、有能な秘書として奇妙な関係で結ばれる清家一郎(櫻井翔)、鈴木俊哉(玉山鉄二)と、それを取り巻く黒い闇に、新聞記者である主人公の道上香苗(水川あさみ)が斬り込んでいく様子を、スリリングに描く。

早見さんの作品は、これまでも多くの作品が映画化されるなど、「映像」との縁は深い。小説家という立場ながら、映像化については「僕は『原作』部のスタッフでしかない」という柔軟なスタンスでドラマ作りの「一役」を担う。そこでインタビュー前編では、自身が影響を受けてきた作品などと共に、原作と映像に対する持論や、ドラマ化に際して「ほぼ唯一出した」という希望を明かしてもらった。

原作と映像化は「ある種ライバル」 

——今回、本作がドラマとして映像化されることについて、先生はどのように捉えていらっしゃいますか?

僕はおそらく映像化の多い作家だと思います。以前はそのことにある種のコンプレックスを感じていました。僕が心を揺さぶられてきた小説は、決して映像化できないような物語が多かったので。たとえば最近話題の『百年の孤独』(ガルシア=マルケス著)だって、いまはまだ映像化されていませんよね。そういうことをよく感じていました。
ですが、最近はその考えにも変化があって。僕が小説で伝えようとしていることは、どんな分厚い物語を書いたとしても、おそらく1つか2つだと思っています。その大切な1つか2つのことを、映像側の人たちが外側だけでなく、きちんとくみ取ってくれているのならば、信頼して原作を預けるというスタンスになりました。メッセージを伝える手段がどうであっても構わないという考えです。

——試写をご覧になっていかがでしたか?

圧倒的に面白かったです。想像していたよりもミステリーっぽい作りになっていて、「来週も観たいな」と思わされました。もし仮に……、本当に万が一初回の視聴率が低かったとしても、僕は次週から上げていけるのではないかと思いました。口コミの力を信じられるというか。連続ドラマの良さが凝縮された第1回だったと思います。

——ドラマ版と小説では、主人公が変わっています。このことはいかがでしょうか。

小説の主人公は、櫻井翔さんが演じる政治家・清家一郎でした。今回のドラマ化では、水川あさみさんが主人公として、新聞記者の道上香苗を演じてくれています。道上が抱えている過去の部分などで、オリジナルのキャラクターやストーリーが加わったりしていますが、原作をしっかりと読み込んでくださったプロデューサーや監督、出演者のみなさんと、「伝えたいこと」が共有できているので、ドラマ版も「自分の生み出した物語」だと感じています。
原作と映像化された作品については、ある種ライバル関係だとは思っています。ただ、ライバルではあっても敵ではない。映像を作るにあたっては、「俳優」部・「演出」部・「音声」部など、役割ごとに分担があると思うのですが、僕は、いうなれば「原作」部のスタッフだと思っています。「映像に負けたくない」と思っている自分も間違いなくいますが、「頼むから面白くあってくれ」と願っている自分もいる。今回、出来上がったものを観て、素晴らしいスタートだなと思いましたし、面白いなと感じました。

マトリョーシカをめくっていった先にあるもの

——今回、愛媛県の愛南町・外泊が、大事な場所となってきますが、どうして、この場所を選ばれたのでしょうか。

『笑うマトリョーシカ』を書くにあたっては、『砂の器』(松本清張著)へのオマージュだという気持ちはありました。作品を書くに当たって、どんな風に謎が提示されていて、その謎をどう剥がしていって、最後にどうなるのか、というように映画版の『砂の器』の構造を解体しました。最後の30分間「宿命」というテーマ曲が流れて一気に真実が明かされていくのですが、その最後の30分間を、愛南町に舞台を描こうと思ったんです。「日本の中でここにしかない景色」と感じさせてくれる場所ってそんなに多くはないのですが、愛南町には、唯一無二の景色が間違いなくあったんです。だから大事な場面を、愛南町で撮影してほしいというのは、映像化に際して、ほぼ唯一の「マストの条件」のようなかたちで伝えさせてもらいました。

——最後の質問になります。本作でマトリョーシカの奥の奥に潜む人間の黒い闇を掘り下げて物語を書き切った、その「創作の種」は何でしたか?

これは原作を読んだ方には、伝わっていると思うのですが、ラストにある「一つのセリフ」に集約していく物語なんですよね。あるキャラクターがずっと「胸の内」に秘めていた思いに収斂していく。マトリョーシカ人形を、めくっていってめくっていって、さらにめくっていった先にあったのは、空洞であるはずがない。一つの「青い思い」だと思って、小説を書きました。執筆の際に、今回はプロットでガチガチに固めなかったのですが、そのゴールの一言だけに向けて、回り道をしながらも、突き進んでいったという感じです。ドラマ版と小説版、伝えたいことは絶対に同じだと信じていますが、そのアプローチの仕方がそれぞれのメディアの特性もあって違っている。どちらも楽しめると思っていますので、ぜひ小説も読んでいただけたら、嬉しいです。

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