いまだ争いをやめられない世界の中で、助けを必要としている人に対し、安全な土地に生きる人間は何ができるのか。その明確な答えを私は知らず、胸を痛めることしかできない。

 1938年、ニコラス・ウィントンは、答えを見つけ、胸を痛めている人々の先頭に立ち、導いていく人だった。寄付を募り、里親を探し、プラハ(チェコ)と英国をつなぐ列車にユダヤ人の子どもたちを乗せる手続きに奔走。しかし、第2次世界大戦が勃発。プラハの国境は閉ざされた。

 終戦後、ニコラスは救えなかった命への責任に苦しむ余生を送っている。助けると約束した人々の顔が脳裏から消えることはない。49年後、テレビ番組を通じ、救出した子どもたちと再会したニコラスの安堵(あんど)した涙と笑顔に胸が詰まる。ただ同時に、世界の各地にあの頃と同じような苦しみと悲しみが生まれていることが悔しい。(桜坂劇場・下地久美子)

◇同劇場で20日から

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