お笑い芸人で画家という「二足のわらじ」で活躍するジミー大西さんが7月、「ホームタウン」と題した原画展を長崎市で始める。会期中は現地で生活しながら会場に自宅の部屋を再現し、自らのふるさととして思いをはせながら絵を描く。運が良ければ来場者は創作の現場を見られるかもしれない。お笑い業界に天然ボケのジャンルを生み出したジミーさんは今年60歳。実は芸人にも、画家にもなりたいと思っていたわけではないのだという。
きっかけは勘違い
「僕って、シンデレラボーイなんですよ」。大阪府八尾市で育ったジミーさんが吉本興業の扉をたたいたのは高校3年生の頃、きっかけは勘違いだった。
明石家さんまさんが司会を務めるテレビ番組に出演していたタレントの早見優さんを吉本興業の所属と思い込んだ。吉本に入れば早見さんの付き人になれるのでは、と思った。
高校の担任が吉本興業にいる知人に「入れてほしい」と頼み込んだ。たまたま「なんば花月」(当時)で劇場裏方のアルバイトが辞める時期と重なり、雇用されることに。社員に「なんば花月に優ちゃん(早見さん)が来るかもしれないぞ」と言われ、その気になってしまった。
持ち前のキャラクターで、大御所らにかわいがられた。「うけると思うから、舞台に出してみよう」。先輩芸人の思いつきで、アルバイトの身でありながら、吉本興業史上最速の3カ月で舞台デビュー。大学から推薦入学の声が掛かっていたが「あれよあれよと芸人になってしまった」。東京での仕事が多忙になっていたさんまさんの付き人として運転手も務めた。
天然ボケのエピソードには事欠かない。「東京ディズニーランドに、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに登場する人気キャラクター『ミニオン』のコスプレで行っていた」「『要するに』が口癖だが、いつも要約されていない」――。マネジャーが苦笑する。
明石家さんまさんの一言
そんなジミーさんが画家になったのも「たまたま」だった。1992年にテレビ番組の企画で絵を描いたのが始まり。番組で描いた絵を見た芸術家の岡本太郎から「迫力あるよ。いいじゃない」と手紙をもらったのだ。画才を見込まれたのをきっかけに芸能活動を休止し、創作活動に専念することに。99年にはブラジルのパラ州政府から文化功労賞をもらうなど海外でも評価された。
ところが2015年に突然、絵筆から離れてしまう。自宅近くの焼き鳥屋にあった「深夜アルバイト 時給1200円」の貼り紙を見かけたのを機に、絵の制作にかかる時間や材料費、販売価格などから1枚当たりの収入を時給に換算してみると、380円だった。「辞めたろ」。持っていた筆を折って捨てた。筆を見たら、絵を描いてしまうから。約5年間、絵の創作から離れた。
その姿を見かねたのがさんまさん。「お笑いでも何でも、時給を計算するものではない。お前はラッキーなんだぞ」。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、仕事が減ったり失ったりした人もいた頃。才能を生かさないともったいない、と背中を押された。画家としての再出発点となった。22年には画業30年を迎えた。
7月19日から長崎歴史文化博物館(長崎市)で始まる原画展「ホームタウン」は、その後も全国の複数会場で開催予定という。「長崎市内に1カ月半、マンションを借りて、実際に生活しながら絵を描く珍しい企画なので、多くの人に来てもらいたい」と笑顔のジミーさん。なぜ初回は長崎? 海や食べ物も気に入っているというが、野球部だった高校時代の合宿先で練習がつらくて脱走した「思い出深い地」なのだとか。どこまでもジミーさんらしいゆかりだった。【洪玟香】
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