念願だった広島での個展開催は「必然の流れでもありました」。命をテーマにした作品を創り続ける画家の山内若菜さん(47)は、独創的な日本画の技法で福島と広島、長崎を題材に描き続ける。3月には、原爆に耐えた被爆建物の旧日本銀行広島支店で「命と希望の3部作」と呼ぶ大作を含む約50点を展示した。創作に駆り立てる思いは何だろうか。
会場となった旧日本銀行広島支店は、国史跡「広島原爆遺跡」の一つ。壁にはガラス片が突き刺さった跡が痛々しく残っている被爆建物だ。
展示スペースとして活用され、2023年秋に改修を終えたばかり。ここで山内さんが広島で初めての個展を開いたのは今年の3月下旬だった。
核と命に向き合った3部作で描かれたのは傷ついた動物や女の子、不死鳥、ペガサスなど。どれも縦横3メートルを超える。抽象画のようでいて、描き込まれているものは明確なメッセージを発する。
その技法は独特だ。和紙をクラフト紙に重ねて張り、岩絵の具や墨など日本画材をにじませたり、こすったり、削ったり。生じたゆがみやしわは、不定形の作品に傷のような質感を持たせる。亀裂ができるのもいとわず、そこから差し込む光を「希望」に見立てた。
出身地の神奈川県藤沢市などで活動する。東京電力福島第1原発事故に衝撃を受け、13年から福島県飯舘村や浪江町を幾度も訪ねた。牧場の牛や馬が弱って死に、殺処分され、死産も増えたことを知った。
長く低賃金で働いた経験から「命はモノじゃない」と悲憤する牧場主に共鳴し、遺伝子のレベルまで生命を傷つける原発事故の不条理に心を痛めた。「生涯のテーマになると思いました」
16年に埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」で開いた個展が、さらなる転機になった。美術館では、広島の惨状を見た丸木位里・俊夫妻が共同制作した「原爆の図」が常設展示されている。山内さんは会期中、模写し続けた。
「広島、長崎を経験した国で、なぜ福島の事故が起きたのか」。関心は被爆地にも向かい、街角に残る被爆建物や、今も芽吹き続ける被爆樹木に向き合った。
「いつ歩いても新しい発見があり、街全体がアート作品のようで、声なき声が聞こえてきそうです。記憶を大切に守ってきた人々の力、緑の力強さに感動しました」
一方で、被爆地の抱える「加害と被害」の二重性も知った。被爆建物の中には、かつて軍事工場だった旧広島陸軍被服支廠(ししょう)(国重要文化財)のような場所もあった。
足を延ばした大久野島(広島県竹原市)にはかつて、日本軍の毒ガス工場が存在した。その出合いが創作に厚みを持たせ、活動に共感してくれた人々の協力を得て、準備に2年かけて個展を実現した。
「讃歌(さんか) 樹木」と題した横幅9メートルにもなる作品は、大学生や中学生たちとのワークショップを重ねて創り上げた。太陽にも、核の炎のようにも見える赤い半円を取り囲む木々。その幹や根元には無数の昆虫や微生物が描き込まれ、絵巻物のようだ。
「目に見えない生物の連鎖があって、今があることを伝えたいんです」。黒いハート形の切り株は、23年5月に広島市で開かれた主要7カ国首脳会議(G7サミット)に備えた河岸工事のさなか、誤って切り倒された被爆樹木だ。
作品は未完で、来場者の感想や後日の着想でさらに描き込むこともある。自身の作品を「一緒に物語を作っていく参加型のアート」と言う。
命の賛歌を描き続け、生命への畏怖(いふ)こそが希望につながる。「ガザでも、ウクライナでも、戦争が止まらない今だからこそ、命が大切だと大騒ぎしたい」。協働による創作はこれからも続く。【宇城昇】
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