世界中が熱狂するサムライたちの物語
ウォルト・ディズニー・カンパニー傘下のFXが製作した歴史ドラマ『SHOGUN 将軍』が世界的にヒット。第76回エミー賞では作品賞を含む主力25もの部門でノミネート入りし、主演の真田広之は主演男優賞の候補となっている(授賞式は9月16日)。
この作品の原作は英国の小説家ジェームズ・クラベルが1975年に発表した『将軍』。舞台は1600年の日本で、漂着したイギリス人の船乗り、ジョン・ブラックソーンの目を通して、当時のサムライたちの熾烈(しれつ)な権力闘争が描かれる。
ジョン・ブラックソーンは日本で吉井虎長(とらなが)という領主と出会った。吉井虎永もジョン・ブラックソーンも、そして劇中で彼の通訳を務めた戸田鞠子(まりこ)も架空のキャラクターだが、そのモデルは実在の人物で、(よく知られるように)ドラマの設定には史実が濃厚に盛り込まれていた。
アカデミー劇場で開催のレッドカーペットイベントに出席した、吉井虎長役で出演の真田広之。「SHOGUN」は世界配信が始まって6日間で再生回数900万回を記録した=2024年2月13日、アメリカ・ロサンゼルス(AFP=時事)
天皇とサムライの権力闘争
もともと日本の統治者と言えば「天皇」。しかし中世に入ると辺境の開拓領主層からサムライ階級が台頭し、そのリーダー「将軍」が権力を掌握する。12世紀も後半のことだ。
天皇は2度にわたり反撃を試み、14世紀には実権を奪還した。しかし武士の足利尊氏が離反。結局、彼が再び「将軍」となり、武士の政権が続くことになる。
しかし足利将軍の政権「足利幕府」は内部に抗争の火種を抱えていた。15世紀には内乱が広がり、やがて日本各地に大名たちの小王国が乱立。互いに争いを繰り広げる「戦国時代」に突入することになった。
ドラマ『SHOGUN』のシーズン1は、その「戦国時代」の最終段階が舞台だ。歴史上では徳川家康、ドラマでは吉井虎永が新たな将軍となり、争いを終わらせる姿が描かれる。
『SHOGUN』の中のサムライたちの行動原理は「忠義」。彼らは主君に対して絶対の忠誠を誓っていた。そうしたサムライたちの背景にある思想は「宿命」。人にはそれぞれ「宿命」がある。もし宿命が滅びをもたらすのであれば、人は自ら死を選ぶことであらがってみせる。その死の儀式が「切腹」だった。
だが「戦国時代」の最終段階が舞台である『SHOGUN』の時期のサムライが、「サムライとはかくあるべし」という思想によって生み出された人工的な存在であるとすると、戦国時代まっただ中のサムライはまた違っていた。もっと粗野な自然人だった。
彼らはより欲望に忠実で、実は「忠誠」は絶対の原理ではなかった。自分の働きに対する評価が不当であったり、主君が無能であると感じたりすれば、サムライのほうから主君を見限るのは当たり前。大事なのは自分の実力を発揮できる場所と名誉だ。
要するに戦国時代のサムライはとことん「生」にこだわる、血の熱い人々だった。2004年から「週刊ヤングマガジン」で連載された宮下英樹氏のマンガ『センゴク』は、そうした戦国時代の「リアル」を描いた大河作品だ。
『センゴク権兵衛』連載中の2019年7月から9月にかけて、小田原城で原画展が開催された ©宮下英樹/講談社
戦国時代を生き延びる方法
主人公は美濃国(現在の岐阜県)に生まれた仙石権兵衛秀久(せんごく・ごんべえ・ひでひさ)。歴史上、実在した大名であり『センゴク』のストーリーは史実にのっとって展開する。
彼は大きな戦いの主役になったことはなく、政治的に大きな役割を担うこともなかった。戦場の勇者ではあったが指令の聞き漏らしなど「うっかりミス」も多かった。もし彼が17世紀に出頭したサムライであれば、ごく早期に失敗の責任を取らされ、切腹して果てていたことだろう。しかし時代は16世紀。戦国時代の渦中だった。
仙石権兵衛は、おびただしい失敗をしでかしたが、しかしそれでも折れない。折れそうになっても踏ん張る。どんな窮地でも生を諦めず、がんばる。失敗もするが、それ以上の功績をあげて、彼はついに大名にまで上り詰め、「誰よりも失敗を挽回してきた男」となった。
江戸時代に描かれた仙石秀久(円覚公)の肖像画 豊岡市提供「仙石家文書」より
もともと斎藤家の家臣だった彼は、敵将である織田信長《ドラマ『SHOGUN』では黒田信久 。以下同様》に見出され、史実の通り、信長の部下、木下藤吉郎《太閤(たいこう)》の部隊に配属される。
木下藤吉郎はもともとサムライ階級ではなく農民の出身。しかし信長に能力を認められ、織田家の武将のひとりとなっていた。
そもそも信長の織田家の格も決して高くはない。彼自身も実力で領土を獲得し、戦国大名としてのし上がった人物だ。地位が高くても無能な人物は排除され、実力のある者に取って代わられる。これこそが「下克上」と呼ばれるムーブメントであり、当時のサムライたちの行動原理だった。
日本統一を目指したカリスマ
歴史上の信長は戦乱の時代にあって、日本の統一を目指した人物。その性格は複雑で、ヨーロッパ史であれば神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世のようなパーソナリティーを持っていた。鉄砲などの新兵器もいち早く取り入れ、兵農分離を進める。経済政策にも優れ、国際的な視野も持っていた。また芸術的感性にも秀で、「茶」の持つソフトパワーを自らの日本統一事業に利用する。
そして中世的な迷信にとらわれない合理主義者でもあった。彼に接した宣教師、ルイス・フロイスは信長について「魂の不滅も、死後の審判も信じていない」と書き記している。
天皇や将軍、そして宗教などの古い権威は眼中になく、一度は利用した将軍を追放し、自分に反抗した宗教勢力は信徒も含めて焼き打ちにしてしまう。
『センゴク』ではそうした信長の姿を、圧倒的なカリスマであると同時に、人間関係の繊細な配慮はできない「不器用な人物」として描いている。
岐阜市で開催された「ぎふ信長まつり」の演目の一つ「信長公騎馬武者行列」で声援に応える織田信長に扮(ふん)した俳優の木村拓哉さん=6日(時事)
その信長に対して反乱を起こした武将が明智光秀《明智仁斎》。彼もまた代々の家臣ではなく、能力を評価されて重用された武将だったが、突如、信長を襲撃して殺害する。結果、光秀は王殺し「キングスレイヤー」となり、日本史上もっとも有名な反逆者として名を残すことになった。
この光秀の娘が細川ガラシャであり、ドラマの鞠子だ。彼女の夫は細川忠興《戸田広勝》という武将で、有能な軍人、さらに優れた文化人でもあったが、ガラシャの父が信長を殺したことで彼らの「宿命」は大きく変わる。
サムライが主君を変える権利は認められていた。複数の主君を持つこともアリだった。しかし、契約関係にある主君を裏切るのは、この時代でも不名誉。ましてや光秀が裏切ったのは日本統一を目指す巨大なカリスマだ。忠興は本来、保身のためには妻を殺すしかない立場にあった。しかし山奥に幽閉することで彼女を救うのだが、その愛情はゆがんでいた。
彼女の姿を見たというだけで庭師を殺してしまい、その首を妻に見せる。しかしガラシャは平然と食事を続けたというエピソードが、歴史に残っている。ふたりの関係は冷え切っていた。そうした境遇からの救いを求めたのだろうか。彼女はキリスト教に帰依し、ひそかに洗礼を受ける。後に人質として大阪城に留め置かれるが、忠興の命令で脱出することは許されず、死を選ぶことになった。
戦乱の世を制した者
信長没後の「後継者戦争」を制し、日本の統一を成し遂げたのが仙石権兵衛の上司、木下藤吉郎。後の豊臣秀吉であり、ドラマでは「太閤」として登場する人物だ。
信長は独創的な発想を持つ天才だった。秀吉もまたその信長の構想を理解し、発展させるだけの天才性を持っていた。
江戸時代に入って仙石秀久が初代藩主として治めた領地・小諸の城跡に現存する大手門=長野県小諸市(PIXTA)
では徳川家康=吉井虎永はどのような人物か。『センゴク』では、若き家康は危険な勝負にもあえて身を投じる、「賭博師」として登場する。やがて秀吉を野戦で破るほどの実力者となるが、しかし秀吉の才能を自分より上と評価し、徹底的に学ぶ姿勢を見せた。
信長や秀吉のような独創性はない。しかし学ぶ能力は持っていて、なによりも時間をかけて機会をうかがう忍耐心を持っていた。『センゴク』が描いたように、最後の勝者となり、「将軍」の座につく人物は、こうした資質の持ち主なのかもしれない。
ちなみに秀吉はカトリックの宣教師を追放し、家康もそれを継承する。マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙』で描かれたキリスト教徒の弾圧は、その政策の結果だった。
ドラマ『SHOGUN』はすでにシーズン2、3の製作が発表されている。日本はヨーロッパでいうとドイツと同じくらいの大きさで、中国であればひとつの省くらいの国土だが、その歴史を知ることでドラマもまたより深く楽しめるかも。
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