宮沢喜一元首相の40年間に及ぶ政治行動を記録した「日録」が見つかって、戦後史の節目に立ち会ってきた宮沢氏に注目が集まっています。宮沢氏の孫で俳優の宮澤エマさんが朝日新聞のインタビューに応じ、祖父の政界引退をめぐる出来事など、思い出を語りました。(聞き手・守真弓)
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「まだ話していない祖父との話があるといいのですが……」。エマさんは笑う。
7歳くらいのとき、当時流行していた「たまごっち」を買いに町に連れて行ってくれたこと。もう少し大きくなって、授業で習ったパレスチナ問題について質問すると、(パレスチナ解放機構の)アラファト議長と対面した時のことを教えてくれたこと。
そうした思い出はこれまでもテレビなどで話してきた。何か新しいことを、としばらく悩んで「ああ、こんなことがありました」と話し出したのは、宮沢氏の引退をめぐる思い出だ。
2003年、小泉純一郎首相(当時)は、党の「定年制」の厳格化を打ち出し、首相経験者だった宮沢氏や中曽根康弘氏にも引退を迫った。ニュースを見て、エマさんは母親(宮沢氏の長女の啓子さん)に、「若い人たちが出てこられない状況ってどうなんだろう。どんな偉い人でもいつまでもいると新陳代謝が起きない」と言った。それを啓子さんが宮沢氏に伝えたという。エマさんは宮沢氏と直接このことについて話はしなかったが、宮沢氏はその後、「党の若返りに貢献したい」と引退を決断した。
「祖父はものすごく若い時から活躍していた。本人はまだまだやりたいことがあったと思うけれど、一方で自分も若い頃からチャンスをもらったのだから、次の世代のために退かなければいけないという気持ちもあったと思う。その時に身内からもそう言われたことが、少なからず影響したのかもしれない」
宮沢氏をふくめ、宮沢家は家族全員が議論好きで、「自分の意見を言わないと貢献していないとみなされるような家。自分の言葉や意見をもち、交わすことが大事だと自然と教わった」という。異論を聞くことを祖父は歓迎した。
エマさんは、祖父とは価値観がすべてにおいて合っていたわけではないとも言う。「私たちは祖父の影響もあって、すごくリベラルな教育を受けた。その教育のもとに育まれた私の価値観が、違う時代と環境で育った祖父の価値観とは相いれないこともたくさんある」。たとえば、エマさんが賛同するジェンダーニュートラルなトイレや同性婚、夫婦別姓。今、祖父が生きていたら、考えは異なったかもしれない。憲法9条についても議論してみたかったという。
「(議論によって)考え方は変わるものだし、自分自身、考えを変えられるような柔軟な人でありたいと思っています。そう思えるようになったのは、もしかしたら祖父のおかげなのかもしれませんね」
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