夏の甲子園で大会第3日(9日)の第2試合に登場する西日本短大付(福岡)は、プロ野球・日本ハムの新庄剛志監督(52)が卒業し、地元では「にしたん」の略称で親しまれる。3年ぶりの全国切符をつかんだ背景を探ると、選手たちが近年取り組む言葉の“体力作り”が見えてきた。
西村慎太郎監督(52)は新庄さんと同期で、2003年に監督就任。一時離れた期間を挟んでチームを夏に過去3度甲子園へ導いた。だが、直近で出場した21年以降は結果を出せず、何より部員の様子が気がかりだった。「校内で元気のある子どもたちが野球部の集まりで『野球をしていれば何をやっても許される』というような雰囲気」。締め付けも時代に合わないと考え、国語科の城尊恵(じょうたかえ)教諭(53)に部員の鍛え方を相談した。
そこで提案されたのが「短歌」と「俳句」だ。城教諭がもともと授業で取り組み、「学芸とスポーツでどういう化学反応が起こるのか」と興味があったこともあり、21年秋から授業で関わりのなかった一部の部員を参加させるようになった。手応えを感じた西村監督の意向で、23年から部全体での活動に発展した。
授業や昼休みに行われる城教諭の指導をもとに、選手たちが作品をしたためたノートを職員室前の箱に入れ、城教諭が赤ペンで添削して返す――という交換日記形式。初めのころは俳句に季語がなく、表現も抽象的で、城教諭は「私は野球を知らないから、どういう場面なのか自分の思いが伝わるように表現して」と粘り強く指導した。
成果は少しずつ表れた。城教諭とのノートに「ミスして悔しい」とだけ記していたある部員は「グローブではじいてヒットになった」と場面を詳しく書くように。作品でも野球に限らず情景や場面が目に浮かぶ描写が増え、23年度の第27回全国高校生創作コンテスト(国学院大学・高校生新聞社主催)では野球部が奨励賞を受賞した。
「野球の場面で作る時は、相手の心を分析することにもなる」と語るのは荒木悠吾選手(3年)だ。
「炎天下まずは一勝摑(つか)み取る」(第22回りんり俳句大賞 1学期の部高校生の部銀賞)。 荒木選手は国語が苦手で、短歌や俳句にも当初は懐疑的だったが、次第に状況判断や過去を冷静に振り返る感覚が養われたという。
思考は福岡大会決勝の福岡大大濠戦で生かされた。八回裏に西日本短大付が5―2と勝ち越し、スタンドからは「勝った」「甲子園だ」との声が湧き、ベンチで早くも涙を流す選手がいた。だが、次の打者で準備していた荒木選手は「試合は続く。相手にこんな様子を見られてはいけない」と考え、攻守交代でベンチへ戻ると、九回の守備に集中するよう仲間を促した。
三笘拓海選手(3年)は俳句、短歌とも入賞歴があり「詩人」と呼ばれる。
「激闘の試合見守る積乱雲」(第59回滔天(とうてん)忌俳句大会 高校生の部第3位)
「骨折し仲間の背中遠くなる焦りと不安に胸が潰れる」(第50回佐佐木信綱祭短歌大会 高校の部佳作)
ムードメーカーの三笘選手は「選手間の指示が具体的になって野球の質が上がった。短歌と俳句のおかげで甲子園に行けたと言っても過言ではない」と話す。
短歌・俳句と甲子園。一見関わりがなさそうだが、城教諭は、部員が辞書で言葉を調べる営みを通じ「監督の指示を明確に理解できるようになったのではないか」と推測。「大人の感性をしのぐような作品に出会えるのが幸せ」と部員と彼らの句や歌に温かなまなざしを送る。
初戦の相手は金足農(秋田)で、城教諭はアルプス席で応援する予定。句や歌が育んだチームワークで全国優勝を狙う。【池田真由香、林大樹】
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