本誌単独取材に先立ち、都内でディナーショーついての会見に登壇したYOSHIKI(5月17日)

<今年、米コーチェラ・フェスに出演し話題を呼んだNumber_i。過去にこのフェスに出演したX JAPANのYOSHIKIに、世界への道のりとNumber_iへのメッセージを聞く>

一昨年、ニューズウィーク日本版の『世界に挑戦する日本人20』(2022年9月6日号)特集のCover Storyに登場したYOSHIKI。昨年は米カーネギーホールをはじめ国外でクラシックコンサートを開催し、今年4月16日には米ロサンゼルスのドジャー・スタジアムで米国歌のピアノ演奏を披露するなど、国外での活躍が続く。

YOSHIKIがX JAPANとして世界進出を決めたのは、1992年のこと。その後、バンドは一時解散したが、再結成を経て2014年にはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン、2017年にはイギリスのウェンブリー・アリーナで公演を実施。そして、2018年には世界最大級の野外音楽フェス「コーチェラ・フェスティバル」でヘッドライナーという大役を務めた。

そのコーチェラ・フェスには今年4月、日本からNumber_i、YOASOBI、Awich、新しい学校のリーダーズなどが出演し話題を呼んだ。本誌8月13日・20日合併号「世界に挑戦する日本エンタメ2024」ではそのNumber_iを総力特集。YOSHIKIに、コーチェラの意義とNumber_iの挑戦についてジャーナリスト・田澤映と本誌・小暮聡子が聞いた。


――コーチェラ・フェスというのはアーティストにとってどんな存在で、そこに出演するというのはどのような意味があるのか。

世界トップクラスのフェスティバルで、世界中のアーティストが全員出たいと思うような舞台です。すごく温かいファンもいるけれど、厳しい意見も出てくるものだから、出演者にとってはある種の物差しにもなる。

――自分が世界の中で今どれくらいの位置にいるかというのを測る意味での物差しか。

コーチェラに出られるか否かという、まずそこに壁があると思う。自分が出ているので自慢みたいになってしまって言い方は難しいですが、まずは出られるということ自体がすごいこと。コーチェラって、世界中のアーティストが全員出たいと思う場所なんです。コーチェラに出たくないアーティストは、たぶんほとんどいない。コーチェラに出るというだけで世界中からまず名前が調べられる、そういう舞台です。

――そういうステージに、今年はNumber_iが初出演した。メンバーの3人は、平野紫耀さんが27歳、神宮寺勇太さんが26歳、岸優太さんが28歳。YOSHIKIさんが日本からアメリカに挑戦したのも彼らと同じくらいの年齢の頃で、X JAPANは日本のロック界で確固たる地位を確立していたが、ゼロから挑戦する覚悟でアメリカに渡った。日本でトップアイドルとして活躍していたNumber_iの3人が、事務所を移籍してまで海外への挑戦を決意したことについて、思うところは。

すごいと思います。日本にいたらいろんな意味で居心地もいいはず。確固たる地位を築きながら、それでも海外に向かっていくというのは本当に尊敬でしかないですね。

――挑戦を決めてから、世界への道のりというのはどれほど大変なのか。

30年以上前は、状況が全く違いました。まず日本からロックアーティストが世界に挑戦することについて前例がほとんどなかったので、あまり前に道がなかった。今は逆にKポップの方たちが大活躍しているので、アジアから出て行っても挑戦できるんだという、そういうイメージが生まれている。当時は、どうしてアジアの人がアメリカでロックをやっているんだ?という......。そんなところから始めなければならなかった。


――当時に比べたら、挑戦しやすい環境になってきている?

それはもう、自分自身も含めて全体的にそうだと思います。アジアのアーティストが海外に出ていこうとするとき、特にKポップの影響はすごいです。

――Number_iの皆さんにメッセージがあれば。

今度機会があったらぜひステージを見に行きたいですし、海外で見られたらうれしいなと思います。


【本誌8月13日・20日合併号で本誌初の2種カバー(通常版と特別編集版)を飾ったNumber_i】

NEWSWEEK JAPAN


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