緻密な人物描写と予想を覆す衝撃のラスト——小説家・早見和真さんが世に送り出してきた作品は、その巧みな筆致や洞察力で登場人物の裏の顔や感情の揺れを細やかに捉え、予想を覆す驚きの結末も、読者に深い余韻を残してきた。2021年に発表し、このほどTBS金曜ドラマで映像化、放映が始まった『笑うマトリョーシカ』では、かつて同じ四国・松山の名門高校に通い、奇妙な関係で結ばれる若き政治家・清家一郎と有能な秘書・鈴木俊哉の物語を描く。
これまでも、現代社会の問題や人間関係、哲学的なテーマなどに鋭い視点で迫ってきた早見さんが、本作を描くに当たり取材対象として会ったのは50人近くに上る。歴史の資料も読み込む中で、ナチス指導部で予言者・占星術師として一時的に重要視されたエリック・ヤン・ハヌッセンにも目を向けた。
物語を形づくる上で、キャラクターたちに命を吹き込んできた早見さんの「取材力」の芯には、「純粋に、どういう生き物かを自分の目で見極めよう」という気持ちがある。インタビューの後編では、本作執筆の裏話や、小説・本に懸ける思いなどを聞いた。
ヒトラーを操った強烈なブレーン、ハヌッセンに着目した理由
——ハヌッセンは、清家が卒業論文のテーマに選んだ人物として本作にも登場します。ハヌッセンを知るに至ったきっかけを教えてください。
ハヌッセンのことはそもそも知りませんでした。歴史に裁かれた政治家を、ヒトラーを含めて何人か挙げていった中で、彼らに強烈なブレーン的な存在がいたのか、いないのかということを調べたんです。そのなかで、韓国で失脚した元大統領のパク・クネさんに、清家と俊哉みたいな関係性の幼なじみの秘書がいて、最初はそれを何となくイメージしました。でもその後見つけたんです、ヒトラーの傍にいた「ハヌッセン」という存在を。ただ、日本語で読める資料すらほとんどない人でした。『ヒトラー』(イアン・カーショー著)という上下巻の本にも、ほんの少ししか出てこなかったんじゃないかな。ひょっとしたら出てなかったかも、というレベルだったので、英語とドイツ語の資料にもあたりました。いずれにしても資料が少ないからこそ、想像が膨らんで、僕の考える俊哉と清家の関係性が出来上がっていったという感じです。
小説のイメージを膨らませる取材。そのテクニックとは。
——本作の執筆に際してはどのぐらいの時間をかけて調べたという行程があったのでしょうか?
他の作品の執筆もしながらでしたが、『笑うマトリョーシカ』に関する取材だけで、半年は費やしました。代議士や代議士秘書、政治記者なども含めて50人近くに会っています。試写で櫻井さんにお会いした時に「ものすごく取材されていますよね。議員会館から見える景色なんて本当にそのままで」といった感想をいただきました。きちんと描写できていたなら良かったな、と手ごたえを感じています。
——50人に会うという、半年にわたる取材をつないだものは何だったのでしょうか?
人間の業を描くために、どこを舞台に描こうか、そう考えて選んだのが政治の世界でした。
政治という舞台にいる方たちが、「どういう生き物」なのかを、自分の目で見極めようという一心でした。今回は、質問に対する答えそのものを、小説に採用することが重要なのではなく、どんな風に答えるか。どんな目の動きをしていて、どう振る舞っているか。その様子を観察していたという感じです。
インタビューに関しては、僕は得意なほうだと思います。ある政治家の取材を1時間して終えたあとに、同行していた担当の編集者に「政治家の先生をメロメロにさせて、本音を聞き出せましたね」と言われたのですが、僕の捉え方としては真逆で、「最後まで向こうの手のひらの上にいさせられた」という感覚が拭えませんでした。政治の世界には、そういう方が多かったですね。
——対象者をメロメロにさせる早見さんの取材力、何かコツはあるのでしょうか?
今回、文庫化をするにあたって、当時の取材メモを見たのですが、 全ての人たちに対する質問の1行目に、「僕は何がタブーで、何がタブーじゃないかも分かってない。本当にバカな質問をするかもしれないので、その時は指摘してくれたら」という書き出しがありました。どれだけ「バカなフリ」をできるかどうか。賢い人たちは「自分より下」と思う人間にはよくしゃべってくれますから。でもやっぱり政治家という存在は、腹の内を見せてくれているようで、見せてくれていないような、すごいなと思わされる人が多かったですね。
46歳になった今、諦めずに小説を書き続ける理由
——早見さんは、言葉の力や活字のどこに可能性や魅力を感じていらっしゃいますか?
僕は活字そのものより、物語というものに救われてきた人間であると思っています。これまでたくさんの映画やドラマを見てきて、手垢のついた言い方をしますが、自分自身と向き合わざるを得なかったのは、間違いなく僕にとっては文字であって、小説でした。
僕の感覚では、「他者のことがまるで想像できない」っていう人たちが、年々増えていっていると思うんです。小説というのは、他者である主人公の人生を追体験できる唯一のメディアだと思っています。ちょっと乱暴かもしれないですが、日本中の人がいまより少しずつ小説を読むようになったら、いまより少し他者に優しい、いまより少し息の吸いやすい社会が出来ると思っています。それをわりと本気で信じていて、だから46歳にもなって諦めずに書き続けている気がします。
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