サンプラザ中野くん(ボーカル)、パッパラー河合さん(ギター)、ファンキー末吉さん(ドラム)、バーベQ和佐田さん(ベース)の4人組バンド、爆風スランプが25年の活動休止期間を経て、デビュー40周年を迎えた今年ついに再集結。
8月25日には新曲「IKIGAI」をリリースします。
新曲に込めた思い、そして、「Runner」「リゾ・ラバ[resort lovers]」「大きな玉ねぎの下で~はるかなる想い」など数々の名曲誕生秘話を、サンプラザ中野くん、パッパラー河合さんにうかがいました。
■40周年を迎えた今の気持ちはどうですか?
サンプラザ中野くん(以下、中野くん):
40周年といいながら、爆風スランプは25年以上活動していないんで、なんかちょっとズルしたような感じなんですけれども、40年を迎えて再結集することができて、新たなデビューという感じでワクワクしているところです。
パッパラー河合(以下、河合さん):
デビューする時って、40年やると思ってないじゃないですか。だからビックリですよね。まさか40年やるとはって感じ。
《1984年「週刊東京『少女A』」でデビューした爆風スランプ》
■デビュー当時のことで思い出すことはありますか?
河合さん:
84年にデビューしたんですけど、そのころってね、けっこうカッコいいバンドが多かったんですよ。氷室京介さんのBOØWYとか。
中野くん:
REBECCAとかね。同期はみんな。
河合さん:
そうそう。ハンサムでカッコよくて、キュンキュンするようなバンドがすごく売れてて。じゃあ、俺たちはどうしようってなった時に、俺たちはカッコよくないだろうと。顔もハンサムじゃないし。ハードロックみたいなギンギンのロックもやってないから、変なことやろうってことになったんですよね、そうやって目立とうと。
中野くん:
僕らが出て、そのあと聖飢魔Ⅱが出て、それから米米CLUBがみんなソニーレコードから出たんですけれども、3つ合わせて「ソニー3大イロモノバンド」って呼ばれてましたね。みんな一生懸命狙ってやったと思うんですけどね(笑)。ニッチなところを突いたんじゃないですかね。
河合さん:
逆にそれが記憶に残るというかね。ああいう変なことをやってるから記憶に残ったんじゃないかな。でもね、4~5年やってると、ヒット曲も必要だよねってなるんですよね。変なことばっかりやってないで、ヒット曲も必要だということで、「Runner」を作ったり、「大きな玉ねぎの下で」を、ちゃんと聴かせる曲もやったり成長していくわけですよ。
《1988年「Runner」が大ヒット。今でも歌い継がれる爆風スランプの代表曲に》
■「Runner」のヒットによって生活は変わりましたか?
河合さん:
そりゃ、変わりますよ。最初にヒットしたのを実感したのは、俺と中野と2人でボロい車に乗って都内を走ってたんですよ。そしたら(ラジオから)日曜日の歌謡番組が流れて。ベストテンみたいな。
中野くん:
今週は何位になってるかなと思って、下から聴いていったんですけど、5位になっても4位になっても出てこなくて。まさかベスト3には入ってないだろうと。ベスト3位になっても2位になっても(「Runner」が)入ってこなくて、「ああ、もうベストテン落ちちゃったんだね」ってシュンとしてたら、「それでは今週の1位は!爆風スランプ『Runner』!」ってラジオが言って。2人で交差点で手を取り合って「やっててよかったなぁ~」って(笑)
■曲が出来たときに、長年愛される曲になるという手応えはありましたか?
中野くん:
(「Runner」の)歌詞の中身は、そのときオリジナルメンバーのベースが(爆風スランプを)辞めることになって、その人は辞めていくけど「おまえも音楽続けるだろ、俺たちも音楽続けるよ」って、それを陸上部にたとえて作った歌詞なんですけれども、(初めてメンバーの前で)歌い終わった後みんなにこの歌詞が伝わったかなと思ったら、「シクシクシクシク」って泣き声がしたんですよ。そのときハッと河合さんを見たら、泣いてるんですよ。
河合さん:
覚えてますよ、俺。「走る走る俺たち」っていう歌詞が、要するにバンドなんですよね。「バンド(メンバー)が離ればなれになっても走り続けるよ人生を」というのが、すぐに分かった。いい歌だなと思って、そしたら演奏しながらシクシクときちゃったんですよね。その瞬間、覚えてますよ
中野くん:
その時に、あっこれは売れるかもと思いました。
■生活面での変化はありましたか?
中野くん:
そのボロ車から2人で同じ車を買いました(笑)
河合さん:
当時ね、マツダのオープンカーが出たんですよ。ロードスターっていう。
200何十万円で買えるよって。新車で買おうぜって買ったんですよね。
中野くん:
俺のいとこが当時、マツダ系の販売店にいて、そいつに頼んで続きナンバーですよ。同じ色で。
■仲良しですね
河合さん:
今考えると、ちょっと変ですよね(爆笑)
《その後も「月光」「リゾ・ラバ[resort lovers]」と立て続けに大ヒット。80年代後半の音楽界を席巻しました》
■当時のことで思い出すことはありますか?
中野くん:
「Runner」が売れて、曲をどんどん出すことになって、ものすごく忙しくなって、わけわかんなくなっちゃいましたね。「リゾ・ラバ[resort lovers]」という曲は、リゾート地に行って女の子とイイ感じに盛り上がったんだけど、結局フラれるという歌なんですけど、この歌はものすごく忙しい時に作ることになって。この曲の歌詞を「スタジオのこの部屋を君にあげるから、2時間で書きなさい」って言われて、「ええっ!」ってなって。
中野くん:
当時本当に忙しくて、ちょうど「リゾート法」(*1987年に制定された法律「総合保養地域整備法」の通称)が取り上げられていた時期で、「俺はこんなに忙しくて遊びに行けないのに、リゾートリゾート言いやがって」と思って。それで「よし!リゾートに行って不幸になるヤツらの曲を書いてやる」って。それで2時間で書けました(笑)
《日本武道館の屋根の上にある球状の部分「擬宝珠」を玉ねぎにたとえた失恋ソング「大きな玉ねぎの下で~はるかなる想い」は、爆風スランプの新たな一面を見せる名曲に》
■「大きな玉ねぎの下で」も失恋ソングですね?
中野くん:
「大きな玉ねぎの下で」は、最初の武道館(*1985年、爆風スランプとして初めて行った日本武道館公演)を「満員にしろ」と言われた時に、フロントマンとしてはすごく責任感にさいなまれて、最終的に気持ちが裏返って「満員にできるわけがない!」と思ったわけですよ。空席の理由をつけようと。「空席はチケットは売れてるんだよ、実は。相手の女の子が来てくれないだけなんだよ」っていう言い訳の歌として、最初はお笑いの歌として書き出したんですよね。途中までお笑いのつもりで書いてたんですけど、だんだんイイ曲になってきちゃって。自分で書いたと思えないくらいイイ出来になっちゃって、「これはイイッ」ってなって。
■東京メトロ「九段下駅」では、「大きな玉ねぎの下で」が発着メロディになっています
中野くん:
普通は駅の方から(発着メロディの)依頼が来るんですけど、あれ僕、いつまで待っても使ってくれなかったんで、地下鉄の会社に行って「使って下さい」ってお願いに行ったんですよ。
■中野くんが自ら「使ってください」って言いに行ったんですか?
中野くん:
はい。「使って欲しいよね、あの曲」って言ってたら、知り合いが「僕のお兄さん、地下鉄の会社のちょっと偉い人なんですよ」って。「じゃあ、会いに行くからセッティングしてくれ」って言って、それでお願いにうかがったんですよ。そしたら1年後くらいに許可をいただいて、使ってもらえることになりました。どうですか、この積極性!ビックリですよね。自分でもビックリですけどね(笑)
《さらに1996年、バラエティ番組で旅をする猿岩石のために作った楽曲「旅人よ~The Longest Journey」が大ヒット》
■「旅人よ」を作ることになったきっかけを改めて教えていただけますか
中野くん:
番組の中で行われている企画で(猿岩石を)応援に行ってくれないかと言われて。
ビデオを見せていただいて、猿岩石の2人が一生懸命ヒッチハイクをして初めてベトナムでトラックに乗っけてもらえたんですよ。やっと乗っけてもらえてトラックの荷台で2人がすごく泣いたんですよ。それを見て、キュンときちゃって。それで河合さんと曲を作って、「それを持って応援に行ってくれ」って言われてインドに行ったんですね。
中野くん:
そしたら「(猿岩石を)探せ」って言われて、「ハァァァ!?」みたいな。「そこまでは聞いてない」と思って、目の前にいたマネージャーの顔をにらんだら、マネージャーがその瞬間にパッと目をそらして。「なんだ~おまえはやっぱり知ってたのか-!」みたいな(笑)
中野くん:
そしたら最近、TBSの「バナナマンのバナナムーンGOLD」というラジオに呼んでいただいて話をしたら、バナナマンが「実は僕ら『旅人よ』が大好き。こういっちゃなんだけど、有吉より僕らの方が好きだと思う。是非、僕らの応援歌にしてください」って言われたんで、「分かりました。これは有吉君とバナナマンのお2人の応援歌です」ということにしました。
■有吉弘行さんには許可をもらったんですか?
中野くん:
有吉さんの許可はもらってないです(爆笑)
《その後、爆風スランプは1999年に活動休止へ》
■25年ぶりに再集結を決めた時の心境はいかがでしたか?
中野くん:
コロナ禍の中で、(爆風スランプを)もう1回やりたいなって僕が思って。そしてデビュー40年だなと思ったんで、2年くらい前からマネージャーと相談しながら決めてきたんで、実際に動き出して新曲のレコーディングもして、今かなりワクワクしてますね。
■新曲のレコーディングはいかがでしたか?
中野くん:
レコーディング自体は、おのおの別なところで録って、それをミックスしたんですけれども、まず私が「生きがい」というテーマを見つけてきて、みんなに投げて、それで「ああ、生きがいね、いいんじゃないの」みたいな。でも歌詞から作れないなと思って、レゲエ調の曲で歌詞を作ってみたんですよ。それで「こんなのどうですか」って投げたら、(ドラムの)末吉さんが「いやいや、こんなのどないや」ってファンクラップ調の曲で返してきて。「ええっ!俺がラップやるんですか」と思って。
■新曲にはラップが入ってるんですか?
河合さん:
むしろ、歌の部分がない。ラップな曲ですね。意外でしょ。
中野くん:
語りのようなラップで“語(かた)ラップ”という言葉を考えました。語らいのようなラップ=“語ラップ”という感じ。ラップ界隈の皆さん、お許しください(笑)。なにしろ今回、中高年のパワーを集結したいって感じなんで、もともとのファン層の中高年をあおろうということで、中高年向けのラップになっておりますので、“語ラップ”ということで、中高年の皆さん、分かりやすいですよー!
《2024年10月からはツアーもスタート》
■新曲でライブも盛り上がりそうですか?
中野くん:
これは盛り上がると思いますよ。かなり盛り上がると思います。
河合さん:
盛り上がるでしょうね、これは。曲調も盛り上がるし、中野がラップをやるっていうんで、要注目ですし。やっぱり「生きがい」って今の中高年の人って、なかなか考える時がないじゃないですか。なんのために生きてるのか、これを聴いてもう一度考えてくれると、非常にうれしい。
■26年ぶりに4人で新しいアーティスト写真も撮影しましたが、いかがでしたか?
中野くん:
かなりエモかったですね。あの写真を撮るために集まったのが、何年ぶりかに会った日だったんで。僕はとってもこみ上げるものがありましたね。一緒に並んで写真を撮るというのは。でも、河合さんはね、なんにも感じなかったそうですよ。
河合さん:
俺は別に、ええ。非常に冷たい人間って言われてますんで(笑)。ベースの和佐田さんも、ドラムの末吉もね、SNSで何をやっているのかというのは、常に見ているわけですよ。連絡は取り合ってるんで、会ったからといってコレということはないんですけど、出来上がった写真を見るとね、30年くらい前の写真の再現をしたんですよ。「ああ、変わったなぁ」って(笑)。中野と俺はあんまり変わってないんですけど、末吉さんは変わってました。髪型も全然違うし。見て欲しいです、写真。
■長く芸能活動を続けて良かったと思うことはありますか?
中野くん:
うーん。(少し考えて)朝起きるたびに良かったなと思いますね。還暦過ぎるくらいから、みんなリタイアするじゃないですか。普通の会社員の友達は。偉くなって役員待遇で残る人たちもいますけど。なんかね、エンディングを語り出すんですよね。
河合さん:
定年がないじゃないですか。体が動かなくなるまで活動できる、これがうれしいですよね。今はまだ体、完璧なんで。一応、中野とはとりあえずの目標は85歳。中野は125歳まで生きると言ってますけど、俺の目標は85歳まで元気でステージをやる!
■40年支えてくれたファンへの思いは?
中野くん:
本当にね、ありがたいと思っています。ありがとうございます。
河合さん:
ありがとうございます。
中野くん:
たぶん皆さん中高年でね、普段の生活もいろいろあると思いますけれども、子育てとかも終わったんで、こっちに帰ってきてください(笑)。中高年パワーを結集して、爆風スランプを盛り上げてください。よろしくお願いします。
河合さん:
俺たちは60歳を過ぎて、63とか64とか、そういう年齢ですけれども、こんなに元気に頑張ってるんだというのを確認してほしいです。俺たちがこんなに元気なんだから、みんなも元気で生きていけるはずだと、それを確認しに来てください。お願いします。
デビュー40周年。メンバー全員60代になってのカムバック曲は、ファンクラップ調でサンプラザ中野くんの“語ラップ”が弾ける「IKIGAI」。「85歳までステージをやること」を目標に掲げる彼らの"これから"に目が離せそうにありません。
「(IKIGAI)は何なんですか?アナタの」(新曲「IKIGAI」歌詞より)
【担当:芸能情報ステーション】
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