薩摩藩英国留学生記念館に寄贈された長沢鼎ゆかりのカトラリー=2024年4月3日午後3時42分、梅山崇撮影

 1865(慶応元)年に現在の鹿児島県いちき串木野市から英国留学にした薩摩藩士の一人で、米国に転じた後「カリフォルニアのワイン王」と呼ばれた長沢鼎(かなえ)(1852~1934年)。その長沢が、米国で使っていたカトラリー(ナイフとフォーク)が、同市立の「薩摩藩英国留学生記念館」に贈られた。同館は今月、展示を始め、11月から企画展として焦点を当てる計画だ。

 30歳ごろにワイン事業を始めた長沢は生涯独身で、40代になってから一時帰国して事業を手伝ってくれるおいを米国に招いた。そのおいの娘が2021年に米国で死去し、遺族が昨秋、「ゆかりの鹿児島の人に見てほしい」と同館などに長沢のカトラリーを寄贈した。

長沢鼎=薩摩藩英国留学生記念館提供

 カトラリーは約20センチのナイフ、フォークが各12本あり、木製ケースに収められている。刃の刻印から、アンティークとして現在も人気の英国ロバーツ・アンド・ベルク製と分かるという。ワイン事業で成功した長沢が、自宅で開いたパーティーで客をもてなしたものらしい。

 同館担当の下迫田樹一・市シティセールス課主事は「長沢の没後、米国で太平洋戦争に伴う反日政策が強まる中で当局に没収されず残ったのは、奇跡に近い」。展示を見に来た市内の川口ふみ子さん(75)は「長沢の生活の様子がしのばれる。よく保管されていたと思う」と驚いていた。

 薩摩藩士の英国留学は、薩英戦争(1863年)で英国の軍事力を目の当たりにした薩摩藩が、鎖国のさなか密航の形で留学生15人と使節団4人を送り出したもの。ロンドンなどで先進技術を学び、初代文部大臣・森有礼(ありのり)や大阪商法会議所(現大阪商工会議所)初代会頭の五代友厚ら帰国後に政財界などで日本の近代化に貢献した人物も多い。【梅山崇】

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