カムバック 新シリーズでもX-MENはほかの超人ヒーローとひと味違う DISNEY+─SLATE

<ほかの超人ヒーローと何が違う? 1997年に終わった大人気シリーズが21世紀仕様にパワーアップして帰ってきた>

新作アニメの『X-MEN '97』は、誰のためのものなのか? その答えは、第1話が始まってすぐに分かる。

若い超能力ミュータントのロベルト・ダ・コスタを捕らえようとするギャングに勝利したX-MENたち。家に帰るとレミー・ルボー(コードネームはガンビット)が、おへその見えそうなピンクのチビTシャツを着て、キッチンで陽気にお菓子を揚げている。

3月からディズニープラスで独占配信されているこのアニメは、そのスタイルや一部の声優、主題歌までが、1992年から始まったオリジナル版と重なる。マーベル・コミックスがシリーズを刷新するのでは、と気をもんでいた人がいたなら心配は無用だ。

この作品は、タイトルにある記念すべき年へのノスタルジーあふれる旅だ。97年はFOXキッズの『X-MEN』シリーズが終わった年で、新しいシリーズはそれと全く同じ場所から始まる。

X-MENはほかの超人ヒーローとは違う。超愛国的でもないし、犯罪と闘う際に全く手段を選ばないということもない。この作品のキャラクターは冗談を言い合ったり、片思いしたり、いがみ合ったり、仲直りしたり、結婚したり、時には死んだりする。

63年に始まった『アンキャニィX-MEN』は、マーベルのクリエーターであるジャック・カービーの代表作の中で最も地味だろう。94話からは、ライターのクリス・クレアモントが引き継いだ。

クレアモントはアーティストのデーブ・コックラムと共に、それまでスーパーヒーローたちの学校の物語だったものを、はるかに面白い作品に作り直した。彼は登場人物をライバル同士に仕立てたり、片思いさせたりもした。92年のオリジナル版は、クレアモントの初期の膨大な物語をテレビ向けに脚色したものだ。

現実の世界を投影する

オリジナル版が大人気になった理由は、現実世界の問題に重なる部分があったことだ。新シリーズでも、特に非白人や性的少数者は偏狭な現実との類似を見いだすだろう。オリジナル版の最終回でプロフェッサーXをひどく痛めつけたヘンリー・ガイリックは、今シリーズで言っている。「私たちは寛容を身にまとっているとしても、紛れもない真実を知っている。寛容は絶滅を意味するということだ」

『X-MEN '97』の最初のいくつかのエピソードは、私の記憶にあるオリジナル版並みに楽しい。大人向けではないが、特定の世代の大人が子供と一緒に見たい番組だ。

ディズニーは多感な若い消費者を取り込むため、自社の世界への入り口となるアニメや映画をよく作る。私は息子が見るアニメの制作陣が、息子をディズニーの世界に浸らせようともくろんでいる感じが好きではないのだが。

『X-MEN '97』でも、この策略は成功しているようだ。新シリーズは配信開始直後の数字で、ディズニーの長編アニメでは2021年の『ホワット・イフ...?』以来、最も多く視聴されている。子供が洗脳されるのは避けられない。

しかし、このシリーズには基本的な良識がある。次世代に伝える価値はあるのだろう。たとえ、マーベルの公式ライセンス下着を買ってもらうよう計算されていたとしても。

©2024 The Slate Group

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。