藤原京跡(奈良県橿原市)で出土した7世紀後半の木簡が、かけ算の「九九」の一覧表だったと判明した。奈良文化財研究所(奈文研)が4日発表した。役所で使われたとみられ、実用的な九九木簡としては最古級という。飛鳥時代の役人も、九九を覚えるのには苦労した?
木簡は2001年、藤原宮朱雀門南東にあった宮城の番兵が属する役所「衛門府(えもんふ)」の推定地で出土。長さ16・2センチ、幅1・2センチで、大型の木簡の一部とみられる。
当初読めたのは九九の一部で、規則性が見いだせないため、文字の練習用の木簡とされていた。しかし昨年、文字の痕跡がより明確に見える赤外線装置で再判読した結果、縦に「九九八十一」「四九卅(三十)六」「六八卌(四十)八」と書かれている可能性が高いと判明。九九を右から左へ5行ずつ段組みにして並べた一覧表で、その右上端にあたると推測できるという。
これまで日本で見つかった九九の一覧表は2~3行のものばかりだが、5行は秦漢時代(紀元前3~紀元後3世紀)の中国の規範的なスタイルという。
日本で九九が文字として確認できるのは7世紀後半以降だが、古墳時代に伝わり、古墳の設計などに使われた可能性がある。読み書きと共に、古代の役人の基礎教養だった。判読を担当した桑田訓也(くにや)主任研究員は「九九がすべて書かれたとすれば、木簡は長さ33センチほどになる。持ち歩くには大きく、役所に置いて使ったのでは」と話す。
研究成果は「奈良文化財研究所紀要2024」に掲載され、奈文研ホームページの全国遺跡報告総覧(https://sitereports.nabunken.go.jp/ja)で5日から無料公開される。(今井邦彦)
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