戦国武将の上杉謙信を祭る上杉神社(山形県米沢市)が所蔵する国の重要文化財で、謙信が身に着けたとされる白頭巾の修理が始まった。公開を禁止する文書が明治時代に残され、存在は地元でもよく知られていなかった。修理後は謙信の没後450年に当たる2028年か、生誕500年の30年に一般公開される予定だ。
白頭巾の正式名称は、烏帽子(えぼし)形白綾頭巾。先がとがった烏帽子部分は高さ54センチ、垂れた部分の長さは96センチ。絹製で、表面に松竹梅の模様がある。これまでに修理した記録はなく、事前にX線などで中の構造も調べる。
白頭巾は謙信がかぶとの上からかぶったとされ、その姿は武田信玄を相手とした川中島の戦い(1553~1564年)の合戦図や、肖像画で描かれている。ただ、白頭巾に関する資料はほとんど残っておらず、詳細は分かっていない。同神社の宝物殿「稽照殿」館長の角屋由美子さん(65)は「とがった形が僧の頭巾のよう。戦の際、謙信が帰依していた真言宗を意識してかぶったのではないか」と推測する。
上杉家では謙信のものと伝えられ、同神社に移るまで同家が所有し、木箱に入れられていた。劣化が激しい状態を心配した最後の米沢藩主の上杉茂憲が廃藩置県後の明治時代、「上杉家の執事が替わった際に確認するほかは開けてはいけない」とする文書を残したため、これまでほとんど公開されていなかった。謙信没後450年などの節目を控え、同神社は上杉家の同意を得た上で修理とその後の公開を決めた。
修理は今年6月から京都国立博物館内の文化財保存修理所(京都市)で始まった。白頭巾のほか、織田信長が謙信に贈ったとされるビロードのマントなど計4点が対象で、28年3月までの予定。白頭巾は竹の骨組みが折れているとみられ、自立できない状態だが、単体で自立する状態を目指す。
角屋さんは「400年以上前のものがほぼ原形をとどめて残っている『奇跡』を見てほしい。後世に伝えて感動を共有したい」と話した。
戦国武将の上杉謙信が身に着けたとされる烏帽子形白綾頭巾(上杉神社提供)
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