二宮和也主演で6年ぶりに日曜劇場に帰還した『ブラックペアン シーズン2』。シーズン1に引き続き、医学監修を務めるのは山岸俊介氏だ。前作で好評を博したのが、ドラマにまつわる様々な疑問に答える人気コーナー「片っ端から、教えてやるよ。」。今回はシーズン2で放送された8話の医学的解説についてお届けする。

幼少期の渡海先生

今回は天城先生と渡海先生が双子であり、幼少期の渡海先生が多発冠動脈瘤を発症し手術は難航。双子である天城先生の左内胸動脈を採取し、渡海先生の内胸動脈を延長しバイパス術を完成させ渡海先生は生き永らえた。天城先生はフランスに養子に出され、その後同じく冠動脈瘤を発症しバイパス術を受けなければならないが、左内胸動脈を採取されているために静脈(大伏在静脈)でのバイパスを繰り返し行わなければならなかった。静脈でのバイパスは全て詰まりかけてきていて、渡海先生の実家で倒れてしまい手術となる。という流れでした。

多発冠動脈瘤とは

ここで天城先生、渡海先生の多発冠動脈瘤がどれほど珍しいかの解説をいたします。

幼少期に冠動脈に瘤が出来てしまう背景には川崎病という病気があり、1967年に小児科医・川崎富作先生が最初に報告されました。川崎病は原因不明で4歳以下の乳幼児に多く、全身の血管に炎症が起きてしまいます。高熱や目の充血、発赤、手足や首のリンパの腫れ等の症状があります。川崎病の全ての患者さんが冠動脈に瘤が出来るわけではありません。後々まで心臓の問題になるのは3%程度で、このうち冠動脈瘤として残るのは0.8%程度と言われています。

渡海先生や天城先生のように心臓の手術まで要する方は非常に珍しいです。私も18年医師をやっていますが、幼少期にバイパス術のために携わったのは数例です(成人の冠動脈瘤は良く経験しています)。

3歳の時に渡海先生は多発冠動脈瘤を患い冠動脈バイパス術が必要になりますが、渡海先生は左内胸動脈にも瘤があり(よーく見ると、チラッと瘤が見えます)オペは難航します。左前下行枝にバイパスが作れず心臓の機能は弱まってしまいどうしようもなくなった時、双子の兄である天城先生の左内胸動脈を移植するという賭けに出て、何とか渡海先生は一命を取り留めます。

内胸動脈の移植という話は私は聞いたことがなく、40年前の医療状況も分かりませんので何とも言えませんが、双子間の内胸動脈移植は違法行為で天城先生はフランスの天城司先生の元に養子に出されてしまいます。不運にも天城先生はその後、渡海先生同様、多発冠動脈瘤を発症してしまい、左内胸動脈を採取されてしまっていたため閉塞率の高い静脈でのバイパス術を何回か繰り返さないといけなかった。

双子における川崎病の発症は10%前後という報告もありますが、双子とも冠動脈バイパス術が必要になるケースは非常に稀と思われます。

川崎病における冠動脈瘤に対する冠動脈バイパス術は非常に稀ですし、大人の冠動脈ですら2mm程度の内腔ですので小児となると非常に難しい手術となります。大人と同様、左内胸動脈の使用が1番長持ちして成績も良いという報告があります。

左内胸動脈は我々心臓外科医にとってバイパス術にはもってこいの血管で、剥離してそのまま心臓に持ってくると左冠動脈の前下行枝の目の前に来ますのでバイパス経路も作りやすく、また動脈硬化も非常に少ないため、上手い心臓外科医が繋ぐと何十年も血流が流れ続けてくれるのです。さらに採取しても大きな問題もないのでバイパス術のためにある血管、「神様からの贈り物」とも呼ばれています。

天城先生は自身が冠動脈外科医の大家であるため、その左内胸動脈の有り難みを重々承知してます。その左内胸動脈が自分にないと知った時の思い、そして静脈でのバイパスを繰り返しされるも、その静脈も詰まりかけており心機能も低下し心不全が悪化してきている…。

佐伯先生への「返せよ」は、もし自分に神様の贈り物があったら変わっていた全て、人生を返せという意味なのでしょう。

天城先生の冠動脈CT画像を見ていただくと、大動脈にリングのようなものが付いています。あれは静脈によるバイパス術で大動脈に吻合した時に目印として付けておくリングです(最近はあまり使用されてないかもしれません)。あのリングはレントゲンに写りますので冠動脈の造影検査で目印となりバイパスグラフトにカテーテルを入れやすく、造影剤を流しやすくしてくれます。

天城先生の大動脈には2つのリングがあり、その右側は完全に詰まってしまっていて、左前下行枝と回旋枝に行くグラフトも詰まりかかっています。かなりマニアックになってしまうのですが、よく見ていただくと前下行枝と回旋枝の間は何とか血流が残っていそうです。ですので左冠動脈主幹部から前下行枝にダイレクトアナストモーシスを行えば回旋枝まで血流が回り左冠動脈の領域は全て血流が改善することとなります。右の冠動脈は造影CTでは血流がある程度あることがわかっていますので佐伯先生(エルカノも)は治療しなくて良いと判断したと思われます。

緊急手術までの流れ

島根の実家で天城先生が倒れてから、島根の東城大関連病院に搬送され手術開始までの間に静岡にいた世良先生が島根に移動しているのはおかしいとのご指摘をいただきました。一般的に緊急手術までの流れは以下になります。

患者さんが急変して救急車を呼び救急車が到着する(場所にもよりますが20~30分)。搬送先の病院を決定し病院に搬送し病院に到着する(場所にもよりますが20~30分)。各種検査行い薬剤輸血等オーダー各種連絡説明(30分)、麻酔科や手術室の準備、人工心肺のセッティング等(緊急に慣れていて日中なら速いですが土日や夜間なら60分以上)

以上を考えると天城先生が倒れてから手術開始までは2、3時間要します。一般的にも緊急の患者さんが急変して手術に至るまではそのくらい時間がかかるのです。静岡空港から出雲空港まで飛行機で1時間15分ですので、もちろん東城大の場所にもよりますし、関連病院の場所にもよりますが何とか間に合わなくはない距離となります。

天城先生の手術

緊急手術となった天城先生ですが、まず世良先生が開胸して人工心肺を取り付けます。これは実はかなり難易度が高いです。

というのも天城先生は幼少期から何回か手術をしています。手術を一回すると組織は癒着といって他の組織とくっついてしまうんですね。心臓も肺とくっついたり、胸骨とくっついたりしていますので、その癒着を剥がすのが非常に難しいのです。何回か繰り返しているとますます癒着が酷くなりますので大変になります。これを1人で開胸して人工心肺を1人で着けるのは、かなりレベル高いです。手術時間を見てみると30分程度で行なっていますので、これもかなり速い。通常だと1時間以上かかりますので世良先生は相当できる心臓外科医になっています。

佐伯先生が入り、右内胸動脈を癒着から剥がし採取します。天城先生は左内胸動脈を採取されていて、足の静脈も全て取られていますので右の内胸動脈は残っていました。エルカノの指示通りの長さを採取して、ダイレクトアナストモーシスのために左冠動脈主幹部を剥離していくと、世良先生が異変に気づきます。経食道心臓エコー検査で僧帽弁の逆流が増えていたのです。これは上杉会長と同じような状況で、静脈のバイパスが詰まりかけてきていて、心臓の動きが悪くなり心臓が拡張してしまい、中の僧帽弁が逆流してしまったのです。

佐伯先生は何とか佐伯式により僧帽弁を治療しようとします。僧帽弁の形成術は扉の修理と一緒で、弁輪という扉の枠にリングという硬い人工物を縫い付け、広がった枠を小さく縮小します。そして壊れた弁尖という扉を縫って修復していきます。佐伯先生は慣れた手つきでどんどん弁輪に糸をかけていくのですが、途中から針が弁輪から外れてしまいます。弁輪の外側には左房の柔らかい組織があり、弁輪の内側には弁尖という、これまた柔らかい組織がありますので、針を弁輪から外してしまうと左房や弁尖を傷つけてしまい、修理は上手くいきません。

難治性の緑内障を患っている佐伯先生は世良先生に誘導してもらい針先の感覚だけで弁輪に糸をかけていきます。弁輪はしっかりした組織なので、針を刺入すると硬い手応えがありますので、佐伯先生レベルになると針先から伝わる感覚で弁輪を認識できてしまうのです!

しかし、またここで異変が起こります。天城先生の静脈グラフトがいよいよ詰まってしまい、心筋梗塞となり心臓が動かなくなって、しまいには心室細動になってしまうのです。世良先生の言う通り、一旦心臓を止めてしまうか(リアルだと大動脈を遮断して心臓を止めるのがセオリーです)、このまま続けるにはダイレクトアナストモーシスを同時に行わないといけません。人工心肺だけでは血圧が出ない状況となり、佐伯先生は心臓マッサージを行い…。

登場したのは渡海先生!
この先の展開はどうなるのか?!

ちょっと、かなり専門的で難しい話となってしまいましたが、お許しください。

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イムス東京葛飾総合病院 心臓血管外科 
山岸 俊介

冠動脈、大動脈、弁膜症、その他成人心臓血管外科手術が専門。低侵襲小切開心臓外科手術を得意とする。幼少期から外科医を目指しトレーニングを行い、そのテクニックは異次元。平均オペ時間は通常の1/3、縫合スピードは専門医の5倍。自身のYouTubeにオペ映像を無編集で掲載し後進の育成にも力を入れる。今最も手術見学依頼、公開手術依頼が多い心臓外科医と言われている。

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