日本生まれのロバーツ監督は大谷の変化に驚かされた JOHN FISHER/GETTY IMAGES

<彼は野球が超絶にうまいロボットではなくチームメイトだ──ロバーツ監督が語る大谷の変化と超人的能力>

昨年12月にロサンゼルス・ドジャースと10年総額7億ドルの超大型契約を結んだスーパースター、大谷翔平。MLB(米大リーグ)史上最大の契約がどのような展開になるのか、そのときは誰にも分からなかった。球界も、ドジャースも、そしてもちろんデーブ・ロバーツ監督も。

ロバーツはドジャースの指揮官として9年目の今シーズンを、通算監督勝率6割3分(753勝443敗)でスタートした。通算850試合以上を指揮した監督では歴代1位の戦績だ。主力選手にはムーキー・ベッツ、フレディ・フリーマン、クレイトン・カーショウ、そして野球史上最も注目度の高い1人である大谷と、MVPが4人そろっている。大谷の加入はロバーツとドジャースにとって最高の補強になることは確実な一方、挑戦でもあった。


この夏、ドジャースはここ12シーズンで11回目となるナショナルリーグ西地区優勝に向けて突き進み、大谷はまたも期待以上の活躍を見せていた。そんな折、MLB取材歴33年のスポーツジャーナリスト、スコット・ミラーがロバーツに話を聞いた。

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──大谷翔平の監督という仕事を楽しんでいるか。大谷との関係は春からどう変わったか。

今も変化している。そう、最も変わったのは関係だ。彼の行動の動機が分かるようになってきた。彼の性格についてもいろいろ学んでいる。

とても面白いところもあるよ。優れた才能と競争心を持っていることは間違いない。私たちはとにかくいい会話をしている。そして、彼が本来の自分へと花開くのを目撃することができた。野球が超絶にうまい機械やロボットというのではなく、素晴らしいチームメイトだ。

──花開いた、というのは?

コーチや選手、私と話をする彼を見ていると、こんなふうに笑うのかと思うし、ほかの選手とは投手の傾向の話をしたりしている。本当の意味でチームの一員になった。

──水原一平をめぐる一連の出来事の後、ウィル・アイアトンを新しい通訳に迎えた大谷がよりオープンになり、よりよいチームメイトになったとあなたは話していた。その変化は続いているか。

あの日が境界線になったといわれるが、あの出来事が起きた後、彼は自分の人生は自分で決めなければならないことを理解したのだろう。彼はあの経験から学び、はるかに自立するようになった。コミュニケーションや周囲の手助けとのパイプ役や緩衝材を失って、彼自身が成長したのだろう。

──パフォーマンスにいい影響を与えているようだ。少なくとも悪い影響はない。集中力や精神的な鋭さが並外れている?

並外れている。人間は誰でも、人生で起きる出来事にそれぞれ異なる反応を示すものだ。でも、彼は野球とそれ以外のことをきちんと区別できる。その能力に驚かされる。まるで超能力のようだ。偉大なアスリートの中には、そういう能力を持つ人もいる。彼にとって野球は解放される場所であり、ひとたび野球場に立てば、もう無敵だ。


さらに、彼は優勝争いや、そこに向かう8月、9月を経験したことがなかった。それができるというのは彼にとって非常にエキサイティングなことであり、ドジャースと契約した大きな理由でもある。

──今季は投手としての出場がない。それは打撃に専念できるという意味で、大谷の打撃成績を上げるのにプラスになっているだろうか。彼は投打ともに、とても素晴らしいが。

とても素晴らしいね。(いい変化は)いくつかあるだろう。ストライクゾーンへの対応が向上して、四球の数が増えている。そういった点はかなりよくなって、攻撃面では充実したシーズンを送っている。本人も打撃に集中できることがプラスになっていると言っている。

来シーズンに投手に復帰しても、打者として学んだことや上達したことは失われないはずだし、そう願っている。今シーズンに打者として見せてくれたのと同じくらいのものを投手として見せてくれるだろう。

──クーパーズタウンの野球殿堂博物館で(今年7月に殿堂入りした名監督の)ジム・リーランドと話をしたときに、彼は大谷について特に注目している点として、優雅な動きとスピードを挙げた。

あれほどフィジカルが強く体が大きくて、手足が長いのに、俊敏で、質量と強さとスピードとパワーを兼ね備えていることに驚かされる。非常にユニークだ。決定的な要素はボディーコントロールだろう。素早くパワフルに動けるが、常に調和が取れている。体のポジションがいつも適切なんだ。手足があれほど早く動くのにコントロールすることは、普通は難しい。間違いなく難しい。

──ムーキー・ベッツが負傷した際、大谷が代わりにリードオフマン(1番打者)となってこれほどの数字を達成すると想像していたか。

あの時点で彼は上向きだった。ストライクゾーンへの対応がよくなっていた。それでも、その後の彼がリードオフマンとして成し遂げたことは、当時は想像できなかった。だから、ムーキーが復帰したら2番に置き、1番は翔平のままがいいだろうと思っている(このインタビューの後に復帰したベッツは、2番を打ち続けている)。

野茂英雄はドジャース1年目に新人王を獲得し、オールスター戦に先発した(1998年、シカゴ) SPXーRON VESELY PHOTOGRAHY/GETTY IMAGES

──最後にドジャースと日本、日本人選手とのつながりや歴史について。1995年に野茂英雄がドジャースと契約した。読売ジャイアンツはフロリダにあったドジャータウンで61~81年に5回もキャンプを行った。今年は大谷と山本由伸がチームに溶け込んでいるようだ。

黒田博樹、前田健太、ダルビッシュ有、石井一久も。日本の野球において、MLBとの関係はドジャースとの関係だった。翔平が私たちのところに来て、その関係が改めて際立っている。


40年前、日本の野球ファンやMLBのファンは、みんなドジャースのファンだった。MLBの素晴らしいところは、いろいろな球場や球団に日本人選手がいることだ。素晴らしいじゃないか。

でも根本的なことを言うと、日本人は昔からずっとドジャースを愛している。そのうえ最高の選手が、伝説になる可能性を秘めた選手がドジャースでプレーしている。そして彼は日本生まれなんだ。日本人のドジャースへの愛が再燃しているのは間違いないね。

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