平安時代の陰陽師として知られている安倍晴明。その子孫がかつて、おおい町の名田庄地区に住んでいたことをご存じでしょうか。今も地域に残る安倍家に関連する史跡や、暦の歴史を紹介するスポットを訪ねます。
      
おおい町名田庄地区の一番奥にある集落「納田終(のたおい)」は室町時代、安倍晴明の子孫「土御門家(つちみかどけ)」が応仁の乱から逃れ移り住んだ場所です。100年あまりにわたり朝廷や幕府に仕えながら、この地で陰陽道を司っていたと伝えられています。
 
集落にある薬師堂の奥を100メートル進んだ場所には土御門家の墓所があります。木々に囲まれひっそりとたたずむ石碑には土御門家三代の名が刻まれ、安倍晴明の子孫が確かに存在し、この地で暮らしていたことが分かります。
 
墓所がある場所からほど近い場所にある「暦会館」では、土御門家に関連する資料や暦、陰陽道に関する資料1000点以上を展示しています。
  
平安時代、呪術を使って怨霊などを退治したとされる陰陽師は、朝廷の機関に属する
いわば官僚で、天体観測や時間の計測、暦の作成を行う科学者でもありました。土御門家も陰陽師としてその役割を果たしていたことが分かる史料が残されています。
 
権力者に天体異変を伝えるための文や、人の寿命を司る神で陰陽道の主神である「泰山府君」の祭で、当時の陰陽師が使用した祈祷文も残っています。
  
このほか水をためる速度によって時間を計測する「漏刻計」や、天体の位置を観測する「渾天儀」など、陰陽師が担っていた暦づくりに使う道具なども展示されています。
  
1500年代から現代まで数々の暦も展示され、現代に至るまでの時代背景や特徴などが見て取れます。

暦会館では「陰陽師というと作品の中のイメージが強いと思うが、この地域に実際に安倍晴明の子孫が暮らしていたということを感じてほしい」と話しています。
  
かつて京の都から逃れ納田終で過ごした土御門家。その歴史は今もなお地域で受け継がれ、多くの人を魅了し続けています。
       
<おおい町名田庄納田終>
小浜インターチェンジから車で30分ほど、国道162号を小浜から京都府南丹市方面に向かって進む。土御門ゆかりの史跡や暦会館は集落の国道沿いに案内板がある。

<暦会館・おおい町郷土資料館・小浜市の県立若狭歴史博物館>
陰陽師をテーマとした3館連携特別展を10月5日(土)から開催

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