福井県内の魅力を再発見する「小旅」のコーナー。今回は敦賀市西部の山麓にある名刹・西福寺です。北陸有数の浄土宗寺院の姿を今に伝えています。
西福寺は、14世紀の南北朝時代に開かれました。開祖・法然を祭る「御影堂」、本尊を安置する「阿弥陀堂」、その奥にある「書院など」国の重要文化財に指定されています。
境内の中心に御影堂、西に阿弥陀堂を据える伽藍の配置は、浄土宗本山と同格の様式で、格の高さがうかがえます。
敦賀市教育委文化振興課・奥村香子学芸員:
「江戸後期にこの伽藍の様式になった。浄土宗建築の完成形。御影堂のある寺院は数が少なく、知恩院(京都)など大きな本山格にしかない」
現世を表す御影堂から、国の名勝にも指定され極楽浄土を表す庭園を通り、西の浄土=阿弥陀堂まで、渡り廊下でつながっています。独自の工夫を凝らし、境内全域で浄土宗の極楽往生の世界観をよく表しています。
また、西福寺には古文書が多く残され、西福寺が歴代領主と交わした文書などが、国の重要文化財として新たに指定される見通しです。
敦賀市立博物館・坂東佳子学芸員:
「朝倉義景の『禁制』。『禁制』とは殺生のこと。山林竹木伐採のことなどで、義景がそういったことを(西福寺領で)禁じていたことで、義景が敦賀を治めていた事が分かる。さらに、朝倉義景の領地に織田信長が攻め込んできて滅ぼし、信長が禁制を西福寺に発した。敦賀の支配者の交代が分かる」
一連の西福寺文書は、寺が創建された南北朝時代から江戸時代半ばまで揃い、歴代の敦賀の支配者とのやりとりや寺領経営が伺える貴重な資料です。
西福寺の御影堂は、2023から210年ぶりの大改修が始まり、この夏には足場で覆われ見えなくなります。御影堂など全体の改修は2036年まで25億円以上をかけ行われます
西福寺は、北陸自動車道の敦賀ICから車で約15分、駅からはバスで20分ほど。「気比の松原」を目指し、敦賀高校の横を南北に走る道を西に曲がり、道なりに進むと田園の奥にあります。
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