被災地に力を与えた郷土の祭り

近年に相次ぐ災害は、日本の歴史が災厄との戦いでもあったと思い出させる。古来、地震や洪水、はやり病などが襲い来るたび、人々は神仏に祈りをささげて乗り越えて来たのだ。

石川県・能登半島の夏は、「キリコ」という15メートルもの高灯籠を担ぐ厄払いの祭りが欠かせない。正月の大震災の爪痕が残る2024年夏、自粛を促す声も上がる中で「こんな時だからこそ復興を願って」と、キリコ祭りを継承する約300地域の半数が敢行した。


復旧が遅れる七尾市・能登島で2024年7月27日に開催した「向田(こうだ)の火祭」。最も勇壮なキリコ祭りだ

2011年3月11日の東日本大震災では、全国で祭りはおろか歓送迎会まで自粛するほどだった。そんな風潮にあらがい被災から1カ月後、青森県八戸市長が復興をテーマに「八戸三社大祭」を例年通り開催すると宣言。7月31日から8月4日の本番は100万の人出でにぎわった。

福島県「相馬野馬追」も続いた。年に一度の祭りのために飼う馬が目の前で津波に飲まれた家もある中で「伝統の力で乗り切りたい」との英断だった。神事中心に規模を縮小しての開催だったが、翌年には約16万人の大観衆を迎えて復活し、復興へ向けて地域の団結を強めた。


2011年7月23日の相馬野馬追の出陣式(現在は5月下旬開催)

17メートルの津波に襲われた岩手県陸前高田市では、盆行事「うごく七夕まつり」を敢行。泥に埋もれた山車(だし)はボランティア5000人の協力で修復が間に合い、「ご先祖さま、町は流れてしまったけれど、帰ってきてください」と祈りを込めた。

東北を巡った私は、東京で写真展「被災地の夏祭り」を開催した。訪れた各地の出身者は変わり果てた故郷に涙しながらも、変わらぬ祭りの風景に「復興へ向かって一歩進んだ」と喜んでくれた。祭りは人と故郷をつなぎ、災害を乗り切る力を与えてくれると実感した。


2011年8月6・7日のうごく七夕まつり。がれきだらけになった街を山車がゆく

継承を阻んだコロナ禍の空白

祭りの与える絆を断ち切ったのが、2020年に始まったコロナ禍だった。集会や移動は自粛を余儀なくされ、数百年の歴史で初めて休止した行事もある。それでも伝統を守るため、住民だけで敢行した祭りもある。

沖縄県の西表島で500年にわたり海からの来訪神を迎えてきた「節祭(しち)」は、厳しく入島を制限して開催。東京都北区の「王子田楽」は日時を伏せて無観客とし、参加者は工事作業員に変装までして神社に集まった。静岡県藤枝市で戦国時代から続くロケット花火「朝比奈大龍勢(りゅうせい)」は、会場への道路を封鎖して実施。口伝かつ秘伝である火薬技術を継承するためである。


王子神社が「一人でも観客が来れば中止する」と通告した中で開催した2020年の王子田楽(8月上旬)


2021年11月13日に無観客で開催した朝比奈大龍勢(隔年秋開催)

3年の空白期間は祭りの存続に関わる課題を浮き彫りにした。過疎や少子高齢化に直面して担い手不足が進んでいた地域で、技術や芸能の継承問題に拍車がかかったのだ。

岩手県奥州市の水沢黒石町では2024年2月、4年ぶりの開催をもって、千年続いた裸祭り「黒石寺の蘇民祭」が幕を閉じた。町民の3倍にあたる3000人が押し寄せる人気行事だが、担い手の檀家(だんか)は高齢世帯ばかりの10軒ほど。裸男が奪い合う蘇民袋に詰める護符を作るため、雪深い山に入り木材を切り出すのも重労働で「もう準備はできない、誰のために続けるべきか分からない」と悲鳴を上げたのだ。周辺の他の蘇民祭も、この機に大半が止めてしまった。


蘇民祭の終えんを受けて例年を上回る裸男270人、報道陣400人が殺到

65歳以上が過半数を占める限界集落は全国で2万を超え、その多くで伝統行事が絶えてしまっている。集落で25世帯を切ると金も人も足らず、祭りが開催できなくなるという説もあるのだ。

一方で担い手不足を解消した地域もある。大きく3つのケースに分けて紹介したい。

高齢の氏子から外部の若者が継承

1番目は、地域の外から祭りを支えるケースだ。

長野県飯田市の遠山郷8地区では、旧暦11月の湯立神楽「霜月祭(しもつきまつり)」を700年にわたって継承している。冬至の頃、煮えたぎる湯釜の周りで舞って神を降ろし、その湯を人々にかけて冬場に弱った魂を蘇生する行事である。過疎化が深刻な木沢地区は10年前、祭りに携わる氏子が17世帯まで減ってしまい、年金世代が各10万円の資金を持ち寄らねばならない過酷な状況になってしまった。見かねた遠山郷の青年らが「霜月祭野郎会」を結成。年配の氏子から祭りを受け継いでいる。


木沢地区の霜月祭(12月第2土曜)。10代から40代の新たな担い手が育っている

先祖代々のしきたりを守って氏子だけ、地元住民だけでの開催にこだわる祭りは多いが、それでは立ち行かないと、行政が支援する例もある。福岡県は2023年に「地域伝統行事お助け隊」を創設。祭りに参加したい人を募って担い手不足の地域とつないでいる。

2番目は、移住者が担い手となった例だ。

宮崎県串間市の市木地区は300年前から旧暦8月15日夜の火祭りを恒例としてきたが、高齢化により一時期は存続が危ぶまれた。「市木古式十五夜柱松神事」として復興に努めたのが、日南海岸の波を目当てに移住したサーファーたちだ。よそ者扱いされがちな移住者が主体となって伝統の灯を守り、祭りを通じて地域に溶け込んでいる。


柱の先のカゴを目がけ、燃えるわらを投げ入れる市木の柱松神事

少子化に伴い女子に門戸を開く

3番目は、男女の垣根を取り払った祭りだ。

愛知県奥三河地方の14地区で700年前から伝わる湯立神楽「花祭」は、真夜中に稚児が演じる「花の舞」から始まる。日本の祭りでは神が降りるとされる稚児は「10歳未満の男子」と決まっていることが多く、花の舞も地元に住む幼少の長男のみに任せてきた。だが東栄町御園地区は34世帯のみで、20年以上も前から地域外の子を参加させている。そんな折、御園で十数年ぶりに子どもが生まれた。双子の女の子だったが、4歳で稚児デビューさせて見物客のアイドルになった。今では花の舞は男女混合である。


奥三河の花祭(11~1月)で、湯釜に神を降ろす稚児の舞

愛知県松山市の北条地区伝統の「鹿島の櫂(かい)練り」は平安末期の水軍(海賊)の戦勝祈願をルーツとする。海の男の船祭りだけに、船首で舞う櫂振り役は氏子の男児に限ってきた。ところが2023年、希望者なしで休止の危機に陥り、祭典委員長は悩んだ末に自分の娘2人を出場させた。「自分が大きく伝統を変えた。これで良いのか…」と自問したが、翌年も少女たちが舞って観客を沸かせた。


瀬戸内の海上絵巻、鹿島の櫂練り(5月3・4日)

一方、女人禁制を貫く選択をしたのが、長崎市高浜町で200年以上続く神事相撲「高浜八幡神社秋季大祭」である。小学生以下の男子による33番の奉納相撲から始まるのだが、2018年には人数が足りなくなった。神事の後の相撲大会には女性も出場していたので、高浜相撲協会は33番相撲への女子参加を協議。議論を重ねた末、「まだその時期ではない」と男子の数に合わせて取り組みを減らすことにしたのだ。


高浜八幡神社秋季大祭(9月23日)の女相撲

いずれの地域も「先人が守ってきた伝統を自分たちの代で変えていいのか」と悩みつつ、存続の道を模索している。故郷が元気になる糧として、一つでも多くの祭りが残ることを祈りたい。

※祭りの日程は例年の予定日を表記した

写真=芳賀ライブラリー

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