日常の先の非現実を描いたイタリアの画家、ジョルジョ・デ・キリコ(1888~1978)。神戸市立博物館で開催中の「デ・キリコ展」(朝日新聞社など主催)では、初期から晩年までの重要作品が並び、70年の画業と変遷が見渡せる。巨匠が仕掛け続けた「謎」にどっぷりはまってみては。
デ・キリコはギリシャ生まれ。ドイツで絵を学び、「死の島」のベックリンの作品やニーチェの哲学から着想を得る。1910年、イタリア・フィレンツェで芸術的「啓示」を受け、形而上(けいじじょう)絵画、つまり、描かれたものと、その意味や背景などが切り離された絵を生み出した。
初期の形而上絵画のうち、同展学術協力者の金井直(ただし)・信州大学教授が注目するのが、デ・キリコ絵画の定番、無機的なマヌカン(マネキン)が登場する「予言者」(14~15年)と、閉塞(へいそく)感のある奇妙な室内が描かれた「福音書的な静物Ⅰ」(16年)だ。
「福音書的な静物Ⅰ」は第1次世界大戦中、イタリア・フェッラーラで軍役についていた頃に描かれた作品。額縁か窓か、関係性があいまいなフレームが組み合わさり、右上にも画材のような小さな重なりが呼応する。右下にはユダヤ人街の菓子、イストリア半島のような軍事的地図。金井教授は「時代の空気を感じさせつつも、それぞれが脈絡なく『宙づり』のまま配置され、デ・キリコの特徴がよく出ている」とみる。
シュールレアリスム出現より約10年早く、その技法を用いて表現していたというデ・キリコ。その後、ティツィアーノらの古典の名作の技法に開眼、シュールレアリストと決別する。過去のモチーフの反復や複製で批判を浴びつつも、晩年には、軽みも備えた「新形而上絵画」を確立した。
ただ、デ・キリコは「必ずしも『孤高』ではなかった」というのが金井教授の見方だ。古典回帰も、当時イタリアの画家に見られた傾向だったという。生涯、イタリアの画家たちに影響を及ぼし続けたことを踏まえ、「イタリアの20世紀美術の流れと確実につながっていた」と話す。
12月8日まで。一般2千円など。神戸市立博物館(078・391・0035)。(福野聡子)
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