港町を中心に広まった「中華そば」

すし、天ぷら、とんかつ......世界でも人気の多彩な食文化が根付いている日本において、ラーメンほど多様な広がりを見せているジャンルはない。だが、その歴史は意外にも浅く、伝来以来わずか100年余りに過ぎない。にもかかわらず、すでに世界に通用する日本発の食文化として認知されている。まずは、日常的過ぎて日本人ですら意識していない、ラーメンの定義と歴史について考察したい。

ラーメンの起源は諸説あるものの、一般的には明治時代(1868~1912年)末期から大正時代(1912~26年)にかけて、中国の福建省や広東省からの移民によって日本に持ち込まれた小麦粉を使った麺料理が起源と考えられている。

日本でラーメンとして受け入れられてからは、現在の福岡市博多区や横浜市など、古くから港町として栄えた地域を中心に広がっていく。いわゆる「中華そば」であり、主に中華料理店で提供された。見た目は非常にシンプルで、しょうゆベースのあっさりとした味わいだったという。


2020年には、新横浜ラーメン博物館が日本最古のラーメン店といわれる「淺草 來々軒」(1910年創業)の復活プロジェクトを実施。写真は当時の味を再現した一杯 ©新横浜ラーメン博物館

第二次世界大戦後、荒廃した日本の各地で、公的には禁止された流通経路を経た物資を扱う闇市が形成される。そこで誕生したのが移動式屋台のラーメン店だ。

店主はチャルメラと呼ばれる客寄せの笛を吹きながら屋台を引く。軽快なメロディに誘われて、人々はラーメンをすすりに夜な夜な集まってくる。その様子から屋台のラーメンは「夜泣きそば」と呼ばれるようになった。人々が日々の食事にも事欠く中、安い材料でおいしく、栄養価の高いラーメンは、物資乏しい時代にうってつけの食べ物となる。


1933年に撮影された中華そばの屋台 共同

やがて屋台は日本全国に広がり、ご当地ラーメンとして各地で独自の発展を遂げる。例えば、九州なら白濁した豚骨スープを誰もが想像するが、当初はクリアなスープだった。1947年に福岡県久留米市で創業した屋台『三九(さんきゅう)』で、煮込み過ぎて失敗した白い豚骨スープが偶然生まれる。これが大流行し、白く乳化したスープは九州豚骨の定番となった。

また、福岡市長浜地区の市場にあった屋台では、労働者に短時間でラーメンを提供するため、ゆで時間の短い細麺が人気を博した。細麺は伸びやすいため、ゆで時間を短縮して硬めの麺を提供する「バリカタ」が生まれたり、麺の量を少量にしてお替わりが出来る「替え玉」が根付くなど、九州豚骨ならではのご当地スタイルが確立されていく。


1963年創業、福岡を代表する豚骨ラーメン店『博多だるま』の「味玉ラーメン」©ディアンドエッチ

他の地域でも同様だ。和歌山市内を走っていた路面電車の停車場に軒を並べていた屋台が発祥とされるしょうゆ豚骨ベースの和歌山ラーメンや、札幌市内の屋台でスタートした『味の三平』がみそ汁をヒントに考案した札幌みそラーメンなど、今や誰もが知るご当地の味もルーツをたどると、始まりは屋台の一杯にある。

個々の製法に焦点を当てると、その土地の環境や食文化の背景を受けた特色も見えてくる。寒い地域ではスープの表面に油の層を作り、冷めるのを防ぐ。また、昆布だし文化の関西地方では、だしを生かした魚介系スープに鶏ガラや豚骨を合わせたものが多い。

麺の製法にも着目すると、みそラーメンのような濃厚スープには縮れた麺がよくからむ。一方で博多豚骨ラーメンのような細麺には、水分が少なく伸びにくい低加水の麺を用いる。使う小麦や形状によって出来上がる麺は千差万別だ。


札幌の人気店『すみれ』の「みそラーメン」。スープに油が浮いていて寒い時期にも冷めにくい 写真=山川大介

ラーメンブームの到来

1970年代頃になると一般家庭のテレビ普及率が加速し、ご当地ラーメンはメディアの影響もあって全国的に認知されるようになる。そして、1980年後半から90年代にかけてラーメン界に一大ムーブメントが訪れる。

東京では店が乱立し、「ラーメン戦争」の幕が開いた。

当時、日本一並ぶといわれた板橋区の『土佐っ子ラーメン』には、1日に1000人以上が深夜まで列を作って話題を呼んだ。その様子はメディアを通じて拡散され、日本中で爆発的なラーメンブームが巻き起こる。それは、地元民だけが食べていたご当地の味が全国区になった瞬間だった。こうしてご当地ラーメンは全国に一気に波及していく。

ラーメンが食文化として確立されるにつれて、次第に作り手にも注目が集まるようになる。つけ麺の生みの親であり「ラーメンの神様」と称される『大勝軒』の山岸一雄氏、食材や製法への徹底したこだわりで業界のレベルを底上げした、「ラーメンの鬼」の異名で知られる『支那そばや』の佐野実氏など、今は亡き巨匠たちがラーメン文化の発展に大きく貢献した。彼らから影響を受けた職人は数知れない。


(左)『大勝軒』創業者の山岸一雄氏 ©丸長のれん会(右)『支那そばや』創業者の佐野実氏 ©新横浜ラーメン博物館

また、2010年代に入るとフレンチやイタリアンなどの異業種から、培ってきた技法をラーメンと融合させた新たな一杯を手がける職人が現れる。

その代表的なラーメン店たる東京都東銀座の『中華そば 銀座 八五(はちご)』は、通常ラーメンの調理に不可欠なタレを使用しない。常識破りな一杯を手がけるのは、フレンチの世界で40年近く腕をふるい、『京都全日空ホテル(現ANAクラウンプラザホテル)』の総料理長を務めた経験を持つ松村靖氏。鴨肉と名古屋コーチンをベースにイタリア産のプロシュートを加えて炊き出すことで、塩分が加わり味が完成する。確かな技術を持った作り手が続々と参入し、ラーメン文化をさらに進化させた。


『中華そば 銀座 八五』の「中華そば」©Food Operation Japan

ラーメン文化を語るうえでは、「ラーメンフリーク」と呼ばれる熱狂的なファンの存在も見逃せない。情報をいち早くキャッチして、新しい店がオープンすれば誰よりも早く味わう。行列に並ぶのもいとわない彼らの存在が業界を下支えした。また、雑誌やテレビ番組の影響によって、圧倒的な知識量を持つマニアたちがフィーチャーされ、後に「ラーメン評論家」として活躍するようになる。

ラーメンフリークはまだ見ぬ新しい店の発掘や、ブログやSNSなどを通じた情報発信など、さまざまなラーメン文化の発展に貢献した。その一つの象徴といえば、やはり『ラーメン二郎』の名前が挙がる。

東京都内を中心に全国で40店舗以上を展開し、カルト的な人気を誇るラーメン店には、トッピングの野菜やタレの濃さなどを調整するため、「〇〇マシ」とオーダーする独特の「コール文化」が存在する。

客は「会話をしない」「食べ終わった丼(どんぶり)をカウンターに戻す」「机を拭く」「作り手にお礼を言う」など、独自のカルチャーが『ラーメン二郎』から生まれた。さらに、熱狂的なファンを「ジロリアン」と呼んだり、『ラーメン二郎』を模倣する「二郎インスパイア店」が登場するなどトピックには事欠かない。


『ラーメン二郎』の「ヤサイカラメ(野菜とタレマシ)」。“中毒性”のある味わいと物量がジロリアンたちを虜(とりこ)にする 写真=山川大介

かつてはB級グルメとして親しまれ、手軽で庶民的な食べ物と見なされていたラーメンの人気はもはや国内に留まらず、世界中で日本の食文化のアイコンとして地位を確立しつつある。

2015年には、東京都代々木上原の『Japanese Soba Noodles 蔦(つた)』がミシュランガイドで世界初となる1つ星を獲得した。当時の価格は1杯850円。1食1000円を下回る食事が星を獲得することは過去に例がない快挙で、世界中の美食家たちに衝撃を与えた。現在の掲載店はビブグルマン(従来の星の評価からは外れるものの、安くてお勧めできる店に与えられる印)を含めると60を超える。今やすしよりラーメン。多くの外国人が日本を訪れる目的にもなっている。


『Japanese Soba Noodles 蔦』の「醤油Soba」©蔦の音

日本で独自の進化を遂げて多様化したラーメンが、国際的に広く受け入れられた要因は、その多様性にある。各地域の食材や調味料、そして地元の伝統料理との組み合わせによって、新しい味わいも生まれた。

例えば「ビリアラーメン」は、メキシコの伝統的な煮込み料理「ビリア」とラーメンを組み合わせたもので、2015年頃からメキシコシティで人気を博し、その後アメリカの西海岸でも注目を集めている。

近年ではラーメンの楽しみ方にも多様性が生まれた。1994年には世界初のラーメンアミューズメントパーク『新横浜ラーメン博物館』がオープン。それを皮切りに、行列のできる人気店や各地のご当地ラーメンが一堂に会する「ラーメン横丁」が全国に広がる。

さらに、選ばれた有名店が集結する「ラーメンフェスティバル」は、数ある食フェスの中でも特に人気が高い。普段は味わえない限定メニューのために長い列ができることもしばしばだ。海外でもニューヨークを筆頭に各地で日本のラーメンを楽しめるイベントが開催され、新たな「食」のエンターテインメントとして注目を集めている。


新横浜ラーメン博物館の館内。昭和30年代の街並みが再現され、その中に人気ラーメン店が点在する 時事


東京・駒沢公園で開催される「東京ラーメンフェスタ」に詰めかけたラーメンファンたち ©ラーメンデータバンク


今や日本のみならず、海外にも8店舗を持つ『一蘭』香港店の店内 共同

また、超人気チェーン店となった『一蘭(いちらん)』は座席の左右が板で仕切られ、おひとり様で食べられる「味集中カウンター」でおなじみだが、中国やアメリカなどの海外店舗でもその方式が採用されており、現地の反応は上々だ。

このようなラーメンを介した食体験も魅力の一つとして受け入れられている。特別なルールはなく、自由に楽しめるのがラーメンの良いところ。多様性を受け入れる懐の深さこそ、ラーメンが世界中の人々の心をつかみ、愛される所以(ゆえん)なのだ。

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