将棋を女性に普及させようと生まれた「女流棋士」の誕生から今年で50周年を迎えた。誕生当初は、男性だけで占める棋士に歯が立たなかったが、徐々に実力を付け、今では棋士に勝つことも珍しくなくなった。2022年の福間香奈清麗(32)に続いて今年は西山朋佳白玲(29)が棋士編入試験に挑んで初戦に勝利し、男性しかいない棋士の中で初の「女性棋士」に一歩近付いた。女流棋士第1号の6人の一人、蛸島(たこじま)彰子女流六段(78)に女流棋士誕生から現在までの苦労や思いを語ってもらった。
紅一点、特別扱いは嫌
蛸島女流六段は8歳で、将棋好きの父から将棋を教わった。小学5年の時、東京都渋谷区の将棋道場を父と訪れ、金易二郎(こん・やすじろう)名誉九段に指導を受け、「筋がいいね。将棋連盟の初等科に入ったらどう?」と声を掛けられた。初等科は、プロ養成機関の奨励会に入るための実力を養う機関。もう一人女の子がおり、その友達に、と考えていた節もあった。
高校生になる頃、生徒が4人ほどに減ると初等科は廃止され、全員が奨励会7級に編入された。自動的に女性初の奨励会員となったが、「プロを目指すには弱すぎてダメだろう」という気持ちだった。それでも、娘がプロへと続く道に進んで舞い上がる父の姿と、将棋が好きな気持ちを支えに前に進んだ。
5級までは順調に上がったが、その後は負け越さないまでも昇級に必要な6連勝や9勝3敗などの成績に届かない時期が続いた。すると、女性を後押ししたい連盟側は「女性は5勝5敗の成績で昇級」と新たな規定を加えた。特例は嫌だ、同じ規定にしてほしいと申し出たものの「規定はこちらで決めるので強くなって」とはね付けられた。
奨励会時代はずっと紅一点だった。部屋に入っても話す相手はなく、昼食は女性職員と共にした。対局に勝つと、負けた男性は「女性に負けた」と坊主頭にしたり退会したりした。
特例規定のおかげで初段まで到達したが、棋士(四段)にはなれないと悟り、1966年に20歳で退会。その後は女性将棋教室や将棋イベントの手伝い、NHK将棋トーナメントの読み上げ係などを務めた。
初のタイトル戦でチャンピオンに
転機は70年代、連盟副会長だった大山康晴十五世名人を中心に「女流棋士制度を設けよう」という機運が高まる。74年、自身は女流三段に、アマ大会で活躍していた関根紀代子女流六段ら5人は女流二段や女流初段となって女流棋士第1号が誕生した。同時に、報知新聞社が、初のタイトル戦「女流プロ名人位戦」(現・女流名人戦)を設けた。
初めてのタイトル戦は、他の5人の間で戦って挑戦者になった寺下紀子女流四段との三番勝負となった。「奨励会初段までいった自分が負けたら女流棋士を辞める」と覚悟を決めて臨み、2連勝で初代チャンピオンになった。初めての女流棋戦は多くのメディアで取り上げられ、「おかげで女流棋士を目指す人が増え、毎年のように新しい人が入ってきた」と振り返る。
女流棋士の数が増えて実力を付け、81年には新人王戦で女流参加枠ができ、男女対決が実現した。しかし実力差は大きく、93年に中井広恵女流六段が初勝利を挙げるまでに13年を要した。
ところで、頭脳ゲームである将棋で、なぜ男女の実力差が生まれるのだろう。「将棋は男性向きのゲーム、と言われることもあるが、今の差は50年と(日本将棋連盟創設から)100年の歴史の差でしょう」。今後歴史を重ね、女性の競技人口が増えていけば男女差は自然となくなる、という考えだ。
女性初の棋士誕生に期待
07年、女流棋士の間で地位向上を求める動きが起こり、女流棋士は日本将棋連盟と日本女子プロ将棋協会(LPSA)に分裂する。所属するLPSAは女性の棋力向上のためのアマ大会を開催し、その優勝者から女流棋士も生まれた。「若い女流棋士が増えて、団体間に以前ほどのわだかまりはない」といい、それは今年6月に東京都内で開かれた女流棋士発足50周年パーティーが、両団体共催だったことにも表れた。
12年には福間清麗が、以前のような女性特例規定のない中では初の奨励会初段になり、その後、3人の女性が段位を勝ち取った。奨励会三段まで到達した福間清麗と西山白玲は、八つの女流タイトルを分け合って今の女流棋界でしのぎを削っている。その姿を「2人はこれまでの女流棋士と一味違い、強くなりたいという意志が人一倍強い。いいライバル関係で、良いところを吸収し合っている」と頼もしく見つめる。
西山白玲は、9月から棋士編入試験に挑戦中で、全5局で3勝すれば合格となる。西山白玲を巡っては、奨励会三段だった20年3月、三段リーグ最終日を暫定3位で迎えた。2位以内に入れば、女性初の棋士誕生という悲願がかなう。蛸島女流六段は居ても立ってもいられず、歴史的な瞬間を直接見届けようと将棋会館に駆け付けたが、西山白玲は惜しくも次点に終わった。
お預けになっていた悲願が再び近付き、「西山さんが棋士になった姿を見て、奨励会に入って棋士を目指そうと続く女性が増えればうれしい」と期待を込める。見事合格した場合、棋士と女流棋士との兼務で対局が過密になるが、「体力面は心配だが、トッププロは過酷な日程をこなしているので乗り切ってほしい」。
6人でスタートした女流棋士は50年たった今、81人が公式戦で競い合っている。「50年前は対局が年に3局しかなく、年間の収入は対局料と賞金を合わせて38万円ほどだった。それでも『こんなにもらえるのかしら』と感じた。いい棋戦が増えたので、いろんなスターが育っていけばうれしい」と今後の発展を夢見ている。【丸山進】
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