アベラ(中央)に名シンガーの歌声を再現させるのは無謀 PHOTO ILLUSTRATION BY SLATE. IMAGES VIA PARAMOUNT PICTURES, FOCUS FEATURES, 20TH CENTURY FOX, AND UNITED ARTISTS RELEASINGーSLATE

<歌手を題材にするなら本人音源で口パクを。カラオケ映画は俳優が「歌える」ことを証明し、オスカーに近づくための「下心」にすぎない──(レビュー)>

イギリスの歌手エイミー・ワインハウスの伝記映画『Back to Black エイミーのすべて』は、ある問いに答えを出していない。それはカメラを回す前に解消すべき疑問、「なぜこの人物がそれほど重要なのか」だ。

『Back to Black エイミーのすべて』予告編

人気ミュージシャンの伝記映画なら、普通は簡単に答えが出る。ボブ・マーリーやホイットニー・ヒューストンの歌を聴けば、映画館で2時間彼らと一緒に過ごすのも悪くないと誰もが思うだろう。


実際ミュージシャンの伝記映画にがっかりするケースが多いのは、ヒット曲を詰め込むことに終始して人生や人柄を掘り下げないからだ。

そうした意味で『エイミーのすべて』はひどい。悲惨なレベルの駄作だ。

たわいのないロマンチックコメディーとアルコール・薬物依存にまつわるシリアスドラマを数分おきに行ったり来たりするので支離滅裂だし、悪意があるのかと疑いたくなるくらい彼女の創造性や芸術性には触れない。

ワインハウスを男に翻弄されるだけの女として描き、満たされない出産願望に無礼なほど焦点を当てる。人物造形は実に薄っぺらい。

とはいえ最大の欠陥は別にある。主演のマリサ・アベラは歌手としてはアマチュアの域を出ない。新人発掘番組『アメリカン・アイドル』には出場できても、中盤で脱落するだろう。

恋愛話に終始した『エイミーのすべて』 ©2024 FOCUS FEATURES, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

そんな凡庸な歌い手に当代きっての名シンガーとたたえられ愛された人物を演じさせるのは、根本が間違っている。しかも映画はワインハウスの歌声を観客に聞かせないという、おかしなミスを犯した。

Amy Winehouse - Back To Black

本作が描くとおりワインハウスは酒と薬物に溺れ、若くして死去した。だがそんなことは誰にでも起こり得る。誰にもまねできないのは、その歌だ。なのに製作側は本人の歌声を使わず、アベラのカラオケを聞かせることを選んだ。


口パクのほうがリアル

音楽系伝記映画は安定してヒットが見込めるジャンルだ。そして最近はテクノロジーの進化により、古い音源からボーカルを抜き出し映画に組み込むのも楽になった。それでも俳優に物まねをさせる習慣はなくならない。

ヒット曲満載でエルトン・ジョンの人生を追う『ロケットマン』は新鮮な娯楽作だが、彼の比類なきテノールボイスを使わず主演のタロン・エガートンに歌わせた。これは弁解の余地のない過ちだ。

Elton John - Rocket Man (Glastonbury 2023)

主演に偉大な歌手を迎えた場合であっても物まねは得策ではない。『リスペクト』でアレサ・フランクリンを演じたジェニファー・ハドソンはトップクラスの歌い手だが、アレサではない。誰もアレサにはなれない。だからこそアレサはソウルの女王だったのだ。

Aretha Franklin - I Say a Little Prayer (Official Vinyl Video)

WATCH: Aretha Franklin sings "(You Make Me Feel Like) A Natural Woman"

無声映画の時代から映画はミュージシャンを題材にし、LPレコードが登場する前から俳優はそうした作品でアカデミー賞を受賞してきた。

だが賞狙いの大作がはやりだしたのは、レイ・チャールズに焦点を当てた2004年の『Ray/レイ』と、ジョニー・キャッシュの生きざまを描いた05年の『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』からだろう。

Ray (2004) Official Trailer - Jamie Foxx, Kerry Washington Movie HD

どちらも本人が死去して間もなく公開されたことも追い風となって興行的に成功し、賞レースでも健闘した。

『レイ』はいい映画だ。テイラー・ハックフォード監督は音楽物が得意で、主演のジェイミー・フォックスは名演技を披露した。脇にもケリー・ワシントン、レジーナ・キングら実力派がそろっていた。

フォックスは優れた歌手だが、製作陣はチャールズの音源に合わせて口パクさせることを選んだ。そのためチャールズの声が響き渡るたびに観客は圧倒され、映画を見に来た理由を再確認した。

Ray Charles | I Can't Stop Loving You (Visualizer)

一方『ウォーク・ザ・ライン』は冴えない。キャッシュに扮したホアキン・フェニックスのオーバーな演技は見ていてつらく、手あかの付いた描写も目立った。

さらに『レイ』と対照的に、フェニックスと妻ジューン・カーター役のリース・ウィザースプーンに歌わせた。カントリー界のビッグカップルが残した音源をなぜ使わなかったのか、理解に苦しむ。

Johnny Cash - I Walk the Line (Live in Denmark)

例えるならばマイケル・ジョーダンの伝記映画で、試合のシーンを全て地元のアマチュアバスケチームの映像で済ませるようなものだ。

それでも『エイミーのすべて』に至るまで映画が過ちを改めないのは、なぜなのか。


ドライに見るなら俳優の虚栄心、「歌える」ことを証明すればオスカーも夢ではないという下心のなせる業だろう。寛大な見方をすれば、リアリズムの追求かもしれない。口パクが不自然だと、観客はそこに気を取られてしまう。

とはいえリアリズムが動機なら、致命的に的外れだ。俳優が歌っても、撮影で「ライブ録音」した音源がそのまま採用されることはまずない。

何よりワインハウスの伝記映画でリアルを追求するなら、ワインハウスがワインハウスらしく聞こえなければ本末転倒ではないか。

声というのはパワフルで神秘に満ちていて、おそらくは人間が持つ最も原始的な創作のツールだ。私たちが偉大な歌手に引かれるのはその声の精妙さのためであり、声は特定の人物と結び付いている。

俳優に伝説的シンガーの歌を再現しろと言うのは、猿まねをさせるのと同じこと。それではその歌手がなぜ偉大なのかを誤解することになる。

私たちがレイやアレサやエイミーを愛するのは、彼らが決してほかの人のように歌わなかったからなのだ。

©2024 The Slate Group

Back to Black
Back to Black エイミーのすべて
監督/サム・テイラージョンソン
主演/マリサ・アベラ、ジャック・オコンネル
日本公開は11月22日

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