硬膜下血腫のため、4日に亡くなった、作家で演出家、俳優の唐十郎さんの長男・大鶴義丹さんが5日、公演中の舞台「浅見光彦シリーズ 後鳥羽伝説殺人事件」の終演後、会見対応をしました。

大鶴義丹さん





大鶴さんは、きのうが舞台初日という事で、終演後に訃報を受けたそうで″ 芝居が終わるのが9時過ぎだったので父を看取ることができなかったのですが、異母兄弟2人は看取っていて、僕は30分後くらいに到着しましたが。まだ体温が少し残っていました″と、最後の様子を語りました。


唐さんについて大鶴さんは″芝居しかなかった人でした。人間らしい部分を見せない父でした。子どもの頃から舞台袖で見ていると、楽しそうな笑顔を浮かべ、舞台に向かっていった本当に芝居が好きな演劇人でした。父は本名、大鶴義英(おおつる・よしひで)でしたが、大鶴義英よりも唐十郎と言う姿を子どもの僕に見せていて、もしかすると、うちの父は大鶴義英ではなく100%唐十郎だったのかなと思います“と唐さんの印象を語りました。

唐十郎さん







また義丹さんに対しては”厳しかった。何も言わないんです。ただニコニコして「うん、うん」と。そういう意味で、厳しい人でした“と、振り返り”舞台に出ていくのは楽しい事ばかりではなく、ベテランの俳優さんでも、すごい重圧なんですが、父はいつも心地よい劇空間に向かっていくようでした“と、その姿に畏敬の念を払っていました。

また唐さんが書いた戯曲で、役を演じる義丹さんに対しては、”父は「俺には、なかなか敵わないぞ」と、いつも言ってくれて…なかなかはっきり言うおやじって…、でも気持ちいいですね。それを嬉しそうに言ってくれたのは“と、日々の思い出を振り返っていました。

そして“まさにきのうの舞台の初日が終わった瞬間に父が亡くなって、役者は親の死に目に会えないって言いますけど、「絶対に芝居を完結させないといけない」というのを父が最後に、父の死をもって教えてくれたような感じがしました。まぁ最後まで粋な演出をする父だなと感じました。死をもって劇空間的に教えてくれた、最後の最後まで演劇人だったなと思いました“と語りました。


【担当:芸能情報ステーション】

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