阪神・淡路大震災を機に市民合唱団を組織し、音楽を通じた復興支援と心のケアを続けてきた指揮者の泉庄右衛門さん(82)が来年の震災30年を前に今月25日、合唱団と大阪フィルハーモニー交響楽団との最後の演奏会に臨む。 大阪市出身の泉さんは、京都市立音楽短大でクラリネットと指揮を学び、在学中から大阪フィルの研修生に。クラリネット奏者、補助指揮者として楽団に加わった。楽団の音楽総監督で指揮者の朝比奈隆さんに師事。1967年、26歳の若さで大阪フィルの指揮台に立ち、ウィーン留学を経て指揮者として活動を続けた。 1995年1月の阪神・淡路大震災の際には兵庫県芦屋市の自宅が大きな揺れに見舞われ、楽譜などの資料が散乱。近くの小学校で避難生活を送った。復興に向けて、音楽で力づけられることはないか。思いついたのが、旧文部省の尋常小学唱歌を合唱する活動だった。妻で声楽家の規子さん(66)の実家がある同県西宮市の倉庫を改装して防音の練習場を造った。96年から一般市民を対象に「唱歌の学校」を開き、夫婦で月3回のレッスンを続けた。「はと(はとぽっぽ)」「故郷(ふるさと)」など有名な曲で合唱を本格的に学べる活動は人気を集め、同県南西部にある赤穂市に分校も開設した。毎回50~70人が参加。これまでに計約1千人が学んだ。震災で自宅が半壊した西宮市の谷河道子さん(77)は創設当初からのメンバー。義母の介護をしながら活動を続けた。「カラオケ好きで、楽しく歌って元気を出そうという気持ちで加わりました。死ぬまで歌い続けたい」 唱歌の魅力は、広く知られた歌詞となじみのあるメロディーだと泉さん。「参加者の多くは学校で唱歌を歌った世代。大学時代、スキーに行く福知山線の列車の中で、だれかが『今は山中(やまなか) 今は浜』と歌いだすと、車内のみんなが合わせて歌ったことも。そんな時代もありました」 唱歌だけでなく、オペラの合唱曲にも取り組み、2001年から泉さんの指揮で大阪フィルとの演奏会を20回以上開いてきた。メンバーとの海外演奏ツアーも重ね、07年には、ウィーン・フィルの本拠地楽友協会ホールで演奏した。被災20年目の15年には、東日本大震災の被災地、宮城県名取市で地元合唱団と共演して復興コンサートを開いた。泉さんは、股関節の手術を受けて長時間立つことが難しくなった。唱歌の活動は今後も続けるが、メンバーの高齢化も進むなか、「震災30年を前に一つの区切り」として、同フィルとは最後の演奏会になる。 指揮者としても集大成の演奏会となる「しょうえもんコンサート ザ・ファイナル」は25日午後2時、大阪市のザ・シンフォニーホール。冒頭でヨーゼフ・シュトラウスの「フェニックス(不死鳥)行進曲」を演奏し、阪神、東日本、能登など各地の震災復興への思いを込める。合唱は、グループの50人を含む大人の混声合唱100人と少年少女合唱団90人で編成。ベルディのオペラ「ナブッコ」から「金色の翼に乗って」、佐藤眞の混成合唱曲「大地讃頌(さんしょう)」のほか、泉さんの依頼で、作曲家宮川彬良さんが複数の唱歌を組み合わせてオーケストラ用に編曲した「唱歌の花束」などを歌う。その一つ「故郷」は、出演者と聴衆でともに歌う予定だ。演奏活動が60年を超す池田洋子さんの独奏でモーツァルト「ピアノ協奏曲第20番」、ソプラノ歌手の森本まどか、小澤聖子、北野智子、吉岡仁美、福田祥子の5人によるオペラ独唱曲も演奏する。 泉さんは、戦時中、母方の実家がある奈良県の西吉野(現・五條市)で過ごした。警察官だった父は徴兵されて広島県呉市にいるときに原爆のキノコ雲を目撃した。「吉野で聞いた川の流れる音が今も耳に残っている。自分にとって、山は青きふるさと、『水は清きふるさと』に通じる記憶です。そんなふるさとがいつまでも続いてほしい。震災や紛争が続く世界を、音楽を通じて少しでもすばらしい世界にしたい」と話す。問い合わせは、大阪フィル・チケットセンター(06・6656・4890)、阪神音楽文化協会(0798-26-6518)へ。(編集委員・石合力)
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