県内の知られざるスポットを紹介する「小旅」のコーナー。今回は、丸岡城のルーツである「豊原寺跡(とよはらじあと)」を紹介します。築城400年を超え、北陸で唯一、天守が江戸時代から残る丸岡城。その丸岡城が実は、坂井市丸岡町の豊原地区から移動してきたことをご存じでしょうか。「豊原寺跡」から丸岡城のルーツに迫ります。
丸岡城から東へ約4キロ離れた山間にある丸岡町豊原地区。ここに702年、泰澄大師によって建立されたという天台宗の寺院「豊原寺」がありました。平安時代には平泉寺とともに越前でその権勢を誇り、室町時代には周辺にある地区、小野、吉谷と合わせて「豊原三千坊」と呼ばれるほど繁栄を極めました。
しかし戦国時代に入ると一転。一向一揆が起き、寺の存続をかけ加担した結果、1575年、織田信長によって焼き払われてしまいます。その後、柴田勝家の甥、柴田勝豊が豊原寺跡に入り豊原寺城を築きますが、勝豊は翌年、城を丸岡へ移しました。
以降、豊原寺は白山信仰の拠点として地位を保ったものの、勢力の回復に至らず、廃寺に。豊原村の住民も次々と下山し、1963年、廃村となりました。
豊原で育ち、代々、豊原寺の仏像を管理していた豊原春雄さんに案内してもらいました。豊原さんは「この辺に来ると僕は懐かしい。こんな山の中と思うかもしれないけど、自分にとっては意義のある場所」と話します。
豊原さんによると、閼伽井という泉は仏様に供える水で、泰澄大師が最初に開いた場所とされていて、この水は130年枯れずに出ているということです。
続いて案内してくれたのは、旧白山神社。神社の周りには多くの石仏が訪れる人をじっと見守っています。一方、信長の戦火を逃れた仏像もあります。
長きに渡り、貴重な資料などを保管していた豊原さんは、広く知ってもらいたいと14年前に豊原三千坊史料館を開きました。坂井市の文化財にも指定されている平安時代につくられた「薬師如来坐像」や「阿弥陀如来坐像」さらに、鎌倉時代につくられた「観音菩薩立像」などが展示されています。
豊原さんは「(豊原寺跡が)さびれていて寂しい。丸岡城を国宝にと動きはあるが、豊原寺も含めて進めていかなければ」と話しています。
丸岡城が霞町に移される前、仏教の郷として繁栄を極めた豊原寺。数多くの遺構が、
今も当時の面影を物語っています。
※豊原三千坊史料館は前日までに予約が必要です。
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