「佐賀人十色」。
今回は佐賀市の91歳の書道家米倉基峰さんです。90歳を過ぎてもなお生徒たちの指導を続けています。はつらつと指導を続けることができる秘訣とは。
【米倉基峰さん】
「書道したおかげで人から信用されるようになった。書道のおかげで人間ができた」
佐賀市八戸溝の「米倉書道教室」はこの地で約60年続く書道教室です。
生徒にお手本を書く米倉基峰さん。
1932年昭和7年生まれの91歳です。
書家として多くの作品を生み出す米倉さん。
こちらの県立佐賀西高校の学校の顔。
校門に掲げられた銘板も米倉さんの手によるもので、これまでにも複数の銘板や校訓を製作するなどしています。
月曜と火曜を除く毎日、生徒たちの指導にあたっています。
Q.上手に字を書くコツは?
【基峰さん】
「やっぱり筆を立てて書かんばね。初めての人ペシャって。大筆の場合は2本。親指が上向いて。背勢・向勢って言ってね、筆の裏表をよく使う」
米倉さんとともに教室を支えているのが米倉さんの妻・千鶴子さんと長女の由美さんです。
【千鶴子さん】
「こう、こう、こう、こう。はっきり線を入れてよか。そしてこう。曖昧に書いとるけん」
【由美さん】
「ちっちゃく書いてね。学年から太く」
【男の子】
「級が上がっていったり楽しみがあったり。書いて色々教えてもらったりすると結構おもしろい」
【娘・由美さん】
「人が大好きなので人と関わることが大好きなことや働き者だというところは尊敬できる」
上峰町出身の米倉さんは中学校を卒業後地元の役場に就職。
先輩たちとの出会いがその後の書家へと道を開いたのです。
【基峰さん】
「職員の字がみんな上手。職員が書いたのを見てから書道を始めた。米倉は字が上手と言ってもらって戸籍係が戸籍謄本とか抄本を書いてくれと言われるようになった」
役場の先輩たちの字に驚いたと話す米倉さん。
雑用を任されていただけだったかもしれませんが、それを前向きに捉え1つ1つの仕事に丁寧に向き合い信頼を勝ち取っていきました。
【基峰さん】
「字を書くことについては常に疲れもせんし苦痛もなかった。書いてくれって言われたら喜んで書きよった。ほめられるとそれが励みになる」
仕事を続けていくうちに学ぶことの必要性を感じ役場を退職。
その後、高校、大学に進学し、卒業後は書道の教員として県内の公立高校などで教壇に立ちました。
【基峰さん】
「これよかばい。はい、ありがとうございました」
米倉さんは自身の教室以外でも指導にあたっています。
月に2回、佐賀市の施設で地元の人たちを指導しています。
Q.米倉先生どんな人?
【女性】
「優しくて、よく人の気持ちが分かる方ですばらしいと思います」
【男性】
「何でも自分をさらけ出して、全部から信用されて尊敬されているすばらしい人です」
このサークルでは毎月それぞれの課題作品を米倉さんが添削し、出来のいいものを県書道連盟に提出しています。
【基峰さん】
「いい雰囲気ですよ、ここは。私もここにきてから元気になります」
集まる人たちの楽しみは米倉さんの添削以外にもあります。
【女性】
「人と一緒に話すのが楽しみで。今はもう書きよらんです。来るだけで、人と話すのが楽しみで」
会の最後には米倉さんを囲みお茶会も開かれます。
【基峰さん】
「おはようございます」
米倉さんの健康の秘訣は朝の散歩。
【基峰さん】
「92歳になろうとしよるけんねヨボヨボばってんがまだまだ大丈夫やろ」
毎朝6時前後に起き、晴れた日は近所を散歩、その他にも駐車場の掃除や駐車スペースの白線引き。
ほかにも玄関を磨いたり、四股を踏んでみたりストレッチしたりとにかく朝から元気です。
【基峰さん】
「もう習慣になっとるけんそればせんとなんか忘れものした感じがするけん」
【妻・千鶴さん】
「好きなように暮らすのが健康のもとでしょ?だから私は別に何にも言いません」
書道を通じて「人間ができた」と話す米倉さん。
人と関わることを今後も大事にしていきたいと考えています。
【基峰さん】
「なんでも我がためと思ってしよる。我がためが人のため。人のためが我がため」
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