日本へ帰るたび、「今回いつお戻りでしたか? 次いつお戻りになるんですか?」と質問される。コロナ禍を機に、年の三分の二をニューヨークの自宅で暮らし、冬だけ東京で仮住まいをする二拠点生活を始めた。親しい人たちは私が「戻る」のを喜んでくれる、と同時に、私がいずれここではないどこかへ「戻る」ことも知っていて、「あれ、今、日本語が変でした?」と笑う。帰るところが二つもあって素敵ね、と言われ、どちらでもヨソモノであるとも言えますよね、と笑い返す。

 道行く人の大半が私とよく似た風貌(ふうぼう)で、この身体に馴染(なじ)む服や家電や日用品が標準規格とされ、看板や標識や新聞記事や商品パッケージに書かれた情報すべてを瞬時に捉えられる、「おかえり」と迎えられて「ただいま」と答える、その国を故郷と感じることに変わりはない。けれど私の「Domicile」は米国にある。州法が絡む書類の手続きで憶(おぼ)えた単語だ。国籍とも現住所とも違う概念で、いま住んでいると見做(みな)される土地、その個人が生きて属する拠点、といった意味を持つ。幾つ居を構えてもドミサイルはたった一つで、二つ以上には増えない。

 十年ほど前に『ハジの多い人生』という本を出した。「恥の多い生涯を送って来ました」の恥、ではなく、端っこの端。中心ではなく周縁、ページの余白、重箱の隅、パンの耳、大人数で賑(にぎ)わう宴会場の壁際、空いた電車でわざわざ陣取る車両奥の席、大きな公園の誰にも知られていない木陰、いつでもハジッコが居心地よい、という感覚について書いた。

 生涯で何度ドミサイルを移しても、何度でもそんな場所を選ぶ気がする。世界地図のハジ、極東の果ての島国に生まれたからだろうか。ニューヨークは世界の中心とも呼ばれるが、地球上のありとあらゆるハジッコ者が流れ着いてひしめき合って、てんでばらばらに我が道を行くような、無理してみんなを中央揃(ぞろ)えさせる必要はないと言わんばかりの、多様性の街でもある。日本社会ではマジョリティ側のハジッコに属していた私も、ここでは見事にマイノリティで、そして少数派の寄せ集めが最大多数派となるこの街が、故郷よりずっと生きやすい。

 時折、社会のスポットライトが気まぐれにハジッコを照らす。そこに自分と似た別の誰かを見つけると嬉(うれ)しくなる。人種や国籍や性別や年齢が異なれど、同じようにハジッコを生きる人々だ。この世に生まれ落ち、腰を据えられる場所は見つかりましたか。無理に押し込められて窮屈な想(おも)いをしていやしませんか。私たち、違いを違いと認め合い、行きつ戻りつ流動しつつ、きっと仲良くやれますよ。そう声をかけたくなる。(寄稿)

          ◇

 おかだ・いく 文筆家。東京出身、ニューヨーク在住。出版社勤務を経てエッセーの執筆を始める。著書に「ハジの多い人生」「女の節目は両A面」「我は、おばさん」など。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。