きりっとした表情にまず目を奪われる。
よく見ると大人ではなく、ふくよかな頬をした若者の顔だ。「三人寄れば文殊の知恵」の文殊菩薩像である。サンスクリット語のマンジュシュリーが「文殊師利」「曼殊室利」と漢訳され、略して文殊菩薩と称された。興味深いのは、多くの菩薩像が観念の中で生み出された存在なのに対し、文殊菩薩は釈迦(しゃか)滅後に婆羅門(ばらもん=インドで学問や祭事をつかさどる最高位の僧侶)の子として生まれた実在の人物と考えられていることだ。実際にこんな仏様がいたと思うと、なんだか親近感を覚えてしまう。
鎌倉時代に新興宗派である浄土宗や浄土真宗が庶民の間で信仰されるようになるが、奈良を中心とした旧仏教教団はそうした勢力を押し返そうとした。「戒律」と「知恵」の象徴である文殊菩薩を制作して浄土信仰に対抗していくのである。そのため武器や書物を持たせることが多く、本像も右手に智剣(知恵の剣)、左手には巻物を持っていたようだ。
髪を結っているのは、密教系の文殊菩薩の特徴だ。5つの髻(もとどり)は、祈る時に唱える五字の呪文を表現している。両目に強固な意志の力を感じさせるのは、瞳を水晶で表現することで実物の目のような輝きを持たせているからだ。鎌倉時代にはやった「玉眼」と呼ばれる技法である。彩色した衣の表面に金箔(きんぱく)を細く切った文様(截金=きりがね)を施し、ゴージャスな印象を与える。
銘はないが、類似の作例から鎌倉時代前期に奈良を中心に活躍した仏師・善円による造像と推測される。運慶や快慶に代表される同時代の仏師集団・慶派の量感豊かでエネルギッシュな作風とは一線を画した、衣の端をゆらめかせる軽快な表現に思わず見入ってしまう。
文殊菩薩立像
- 読み:もんじゅぼさつりゅうぞう
- 像高: 43.3センチ(台座高4.2センチ)
- 時代:鎌倉時代
- 所蔵:東京国立博物館
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