「よく“もしトラ”なんて言われるけど、全く違いますよ」
岸田総理の訪米に同行した外務省幹部は、アメリカ議会での演説をこう評する。11月の大統領選挙で、トランプ氏が大統領に復活した場合に備えて、様々な“忖度”がちりばめられた演説―。そんなメディアの解説を、彼は真正面から否定するのだ。
日本の総理大臣として、安倍元総理以来、9年ぶりとなる、アメリカ議会の上下両院合同会議での演説。英語で臨んだ岸田総理と、それに聞き入る議員たちの姿を傍聴席から目撃した記者が読み解く。
鍵は、トランプ前大統領への、3つの「アンチテーゼ(異論)」だった。
(テレビ朝日政治部 千々岩森生)
■トランプへの“忖度”は1カ所だけ
現地時間4月11日午前11時、首都ワシントンの議会議事堂。中央の扉が開き、岸田総理が入場する。通路の両側で、立ち上がって拍手する議員らと、握手を交わしながら進む。後ろを上院共和党トップのマコネル院内総務が続く。民主党のペロシ元下院議長とは長い握手。
まっすぐ演壇に上がる。“Prime Minister Fumio Kishida”と紹介されると、歓声が上がり、盛大な拍手が1分ほど続いた。
出だしはジョークを連発した。父親の仕事の都合で、ニューヨークで、クラスでたったひとりの日本人として過ごした小学生時代。ホットドックを食べ、「メッツとヤンキースを応援していた」と、ニューヨーク訛りの発音で振り返ると、爆笑に、アンチからの少しのブーイングも混ざりつつ、聴衆のテンションは上がっていく。
当時、アメリカで流行っていたアニメの、「ヤバダバドゥー」というフレーズを、これまたニューヨーク訛りで、少しおどけて披露すると、スタンディングオベーションだ。
米議会は今、民主党と共和党の対立が激化する。ましてや、天下分け目の大統領選が目前に迫る。同盟国の首脳として、双方にバランスを取りながら、角が立たないように気遣いながら…。最後に、日米の友好を高らかに歌い上げて大団円を迎える。そんな「定石」はしかし、すぐに崩される。
共和党の、特にトランプ前大統領を支持する議員たちが、最も沸いた場面がある。
岸田総理が「日本企業は、アメリカで100万人の雇用を生み出している」とアピールするやいなや、我先に立ち上がり、拍手喝さいした。ただ、“もしトラ”をにらんだ、トランプ陣営への「配慮」に見えたのは、ここだけだった。
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■トランプへのアンチテーゼ(1) 「ウクライナ支援」■トランプへのアンチテーゼ(1) 「ウクライナ支援」
演説は徐々に、一部の聴衆の耳には、痛みを伴い始める。
「もしアメリカの支援が無かったら、モスクワからの猛襲を受けたウクライナの希望は、どれほど前についえていたでしょう…」こんなフレーズから、話題はウクライナ支援へと転調する。日本が、いかにウクライナを支援してきたかを述べ、最後に「日本はこれからもウクライナと共にある」と、あえて強調して見せた。ウクライナ支援に反対する、共和党議員たちの目の前で。
民主党議員は、一斉にスタンディングオベーション。共和党議員も、多くは遅ればせながら、つられるように立ち上がる。しかし数人は、時には数十人が、椅子に根を下ろしたまま、ピクリとも反応しない。“トランプ大統領”が復活すれば、ウクライナ支援はストップするかもしれない。
そんな観測は、トランプ氏が直前に、ウクライナの領土割譲案を示したとの報道で、今や確信に変わりつつある。トランプ支持の共和党議員には、岸田総理の支援継続論は、余計なお世話だ。
実際、演説が終わり議会を後にする、共和党のティム・バーチェット下院議員は、ANNの取材にこう語っている。ウクライナのくだりで、唯一、共和党側も迷いなく立ち上がったのは、「きょうのウクライナは、あすの東アジアかもしれない」と危機感を示した場面だった。東・南シナ海や台湾をめぐる、中国の軍事活動を想起させ、危機感を示したからだった。
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■トランプへのアンチテーゼ(2) 「核兵器のない世界」■トランプへのアンチテーゼ(2) 「核兵器のない世界」
トランプ支持の共和党議員らを、最も逆なでしたであろうシーンは、ウクライナ支援を唱える直前、すでに登場していた。
アメリカ議会は、日本の国会の本会議場と比べると、少し狭く、演壇と議員席との距離も近い。傍聴席は日本と同様に、議場の数メートル上に、議場を囲むように設置されている。
私の座席は、3列あるうちの前から2列目で、演壇に立つ岸田総理の真後ろ。演説に聞き入る議員らを、まさに正面に見据え、表情まですべて見渡せる位置だった。
「広島出身の私は、政治キャリアを『核兵器のない世界』の実現という目標に、捧げてきました」そう岸田総理が訴えると、向かって右半分の民主党席は総立ちとなり、拍手を送った。一方、左半分の共和党席は静まり返る。
「核なき世界」と言えば、オバマ大統領の演説が思い浮かぶが、実は岸田総理と民主党政権は、広島を舞台にして、こんな経緯があった。
ことは8年前、2016年4月に遡る。G7外相会合が行われた広島で、当時のケリー国務長官は、現職の米国務長官として、初めて平和公園を訪れ献花する。行事はここで終わるはずだった。だが、ケリー国務長官は、外相会合を主催した、当時の岸田外務大臣の腰に手を回すと、原爆ドームを指さす。
「あそこを見に行きたい」
そして、原爆ドームに向かって歩き始めた。予定にない行動で、アメリカから同行した屈強なSPたちも大慌てだ。
直後のインタビューで、ケリー国務長官は私の目をじっと見ながら「とても心を動かされた」と語り、オバマ大統領にも訪問を促すと明言した。
果たして、1か月後の2016年5月、G7伊勢志摩サミットで来日したオバマ大統領は、アメリカの現職大統領として初めて、平和公園に立ち、慰霊碑の前でスピーチした。そして去年5月、G7サミットで広島を訪れたバイデン大統領は、原爆資料館で被爆の実相に触れ、他のG7首脳らとともに、並んで慰霊碑に献花したのだった。
8年前のケリー国務長官とオバマ大統領、そして去年のバイデン大統領。
いまだ、原爆投下容認論が根強いアメリカにあって、「核兵器のない世界」への理解が着実に進んでいることを、民主党議員らのスタンディングオベーションは、雄弁に物語った。
一方で、核抑止の強化を訴える共和党、特にトランプ派の議員らは、ざわつきを抑えられなかったに違いない。
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■トランプへのアンチテーゼ(3) 「自由と民主主義」■トランプへのアンチテーゼ(3) 「自由と民主主義」
トランプ的なるものへのアンチテーゼは、「自由と民主主義」の重要性を説く場面で極まる。
「『自由と民主主義』という名の宇宙船で、日本はアメリカの仲間の船員であることを誇りに思う。共にデッキに立ち、任務に従事する準備はできている。」ロシアのウクライナ侵攻や、中国の軍事動向を名指しで批判し、人権の抑圧や監視社会といった、強権的な体制への懸念を繰り返した岸田総理は、だからこそ「自由と民主主義」という価値が、重要なのだと続けた。
アメリカは独りで、自由で民主的な国際秩序を維持してきた。「もし疲れているなら、日本も一緒にやる」というメッセージは、民主・共和の隔てなく、喝さいを浴びた。
「You are not alone, we are with you.(アメリカは独りじゃない、日本も一緒にいるから)」と、アメリカ人の好むフレーズで、全体をうまくラッピングしたことで、おそらく共和党にも反感なく受け入れられたのだろう。
ただ、言いたいことは強烈だ。トランプ時代に、アメリカの自由と民主主義は危機に瀕した。極めつきは、まさに演説が行われた議会議事堂が、トランプ派の群衆によって襲撃された事件だ。
あんなアメリカに戻ってはならない、戻してはならない。演説の準備に携わった外務省関係者は、こう解説する。「あれは、『アメリカ、しっかりしてくれ!』というメッセージです。自由で民主的な世界のために、ちゃんとリーダーシップを取ってくれと。」
“アメリカ追随”ではない。むしろ、内向きな“一国主義”に陥りがちなアメリカを、日本が叱咤する、強気とさえ映る姿だ。
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■夕食会で大統領選が話題に…「トランプが返り咲いたら」■夕食会で大統領選が話題に…「トランプが返り咲いたら」
議会演説の2日前、バイデン大統領は、まだ時差ぼけの抜けきらない岸田総理を、大統領専用車「ビースト」に乗せ、ワシントン市内の人気シーフードレストラン「ブラック・ソルト」に連れ出した。場所は、直前まで日本側には一切、伏せられていた。
「ビーストの扉はこんなに分厚いんだ」と、大統領が笑いながら紹介する。
車内で大統領が自撮りした写真も、話題になった。「普段から撮っていて、慣れてるんだろうな」、岸田総理は周囲につぶやいた。
レストランでは突然の大統領夫妻の登場に、居合わせた客から歓声があがる。両夫妻はそのまま、一般客に交じって席に着く。アルコールを口にしないバイデン大統領はコーラで、岸田総理夫妻とジル夫人の3人は、シャンパンで乾杯し、大統領夫妻の孫たちの話で盛り上がる。「この店でジルに、大統領選に出ると言ったんだ」と大領領。「それを聞いて、私は席を立ったのよ」とジル夫人。
5年前の、大統領選への出馬表明だ。レストランは、バイデン夫妻にとって特別な場所だった。
話題はその後、再び「バイデン&トランプ」の一騎打ちとなる、秋の大統領選挙に移る。バイデン大統領は岸田総理に告げる。
「私を支持するというより、相手候補(トランプ)にしてはいけないという、強い訴えを、たくさん聞くんだ」と。もしトランプが返り咲いたら、「自由と民主主義は死んでしまう」と。
もちろんこの時点で、2日後の議会演説の原稿は固まっていた。大統領の言葉を聞いて、内容が変わったわけではない。ただ、「自由と民主主義」という価値に対する両者の思いは、周囲が考える以上に一致しているようだ。
中曽根総理とレーガン大統領の「ロン・ヤス関係」など、かつての蜜月と比較されることはないが、フミオ・ジョーの関係も、急速に親密さを増している。
酒を酌み交わすでもなく、共通の趣味に興じるでもない。両者が積み重ねた信頼のベースは、こうした「価値観の共有」にあるのではないかと思わされる。
岸田総理が、ロシアや中国の圧力を念頭に、自由・民主主義陣営の砦となる意志を示す背景には、安倍政権での外務大臣と、そして今の総理大臣の、合わせて8年の長きにわたり、外交の舞台に立ち続けたからこその、危機感があるのだろう。次のページは
■政治家・岸田文雄の“二面性”■政治家・岸田文雄の“二面性”
「皆さま、日本は既に、アメリカと肩を組んで、共に立ち上がっています。米国は独りではありません。日本は米国と共にあります。」演説は、ロシアや中国、北朝鮮など、強権的な体制への嫌悪を隠さず、まるで新冷戦を惹起するかのごとき内容、と言っても言い過ぎでではない。「国際社会の分断を乗り越える」と公言してきた自身の立場と、矛盾するようでもある。
パンチがない、何がやりたいのかわからないと揶揄されてきた政治家・岸田文雄にして、聴衆に忖度せず、背後にトランプ的なるものへの毒気までにじませつつ、率直かつピュアに、自らの主張を通した演説。
「私は理想主義者であると同時に、現実主義者です」防衛費をGDPの2%に倍増させ、反撃能力も備えた日本は、アメリカとともに、世界のどこへでもかけつけ、課題の解決に取り組むという、保守・タカ派的メッセージと、自由で民主的な価値に基づき、国際協調を重視し、核兵器のない世界まで志向する、リベラル・ハト派的メッセージが入り混じる。
タカ派とハト派。政治家・岸田文雄に、この一見して相反する2つの価値が、それぞれ内在していることが、今回の訪米は分かりやすく教えてくれる。
さて、復活を目指すトランプ氏が、この演説をどう聞いたか。
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