世界で多くの重要選挙が行われ、「選挙イヤー」といわれる2024年、ロシアでも3月15〜17日に大統領選挙が行われた。完全な無風選挙であり、ウラジーミル・プーチン大統領が得票率88.48%で勝利し、再選を決めた。
大統領と戦争への「信任確認」が命題
まず、注目点を整理する。この選挙は、2008〜12年の一時期を除き(当時、憲法規定では大統領任期は4年、2期までとされていたため、当該期間はドミトリ・メドヴェージェフが大統領を、プーチンが首相を務めるタンデム政権となった)、2000年から大統領を4期務めてきたプーチンが通算5選を目指すものであった。
また、新しいポイントを2点指摘できる。第1に、22年にロシアが一方的に併合を宣言しているウクライナ東部・南部4州(ドネツク、ルハンシク、サポリージェ、ヘルソン)では初の大統領選となった。第2に、大統領の任期を6年、2期までとした20年の憲法改正後、初の大統領選となった。その憲法改正時点で、それまでの大統領経験者と現職の大統領就任歴はリセットされることになったため、プーチンも合法的に立候補ができたが、そもそも任期の2年延長も就任歴のリセットもまさにプーチンの大統領任期をより長く確実にするという目的ありきのものであり、そのシステム自体が茶番である。
そして、この選挙はプーチン政治への、そして22年から継続しているウクライナ戦争への国民の信任を問うものでもあった。信任を確認するためには、プーチンはこれまでより「より多くの」得票を、高い投票率のもとに獲得する必要があった。具体的には、18年の前回選挙では投票率67.50%、プーチンの得票率が77.53%であったため、24年の選挙では最低でも得票率70%以上、プーチンの得票は80%であることが求められ、その達成のためにいくつかの操作が行われた。
候補者排除と高投票率確保への操作
第1は、危険な候補者の排除である。プーチン体制下の選挙では常態化しているが、プーチンの当選が前提であっても、選挙を「民主的」に見せるために体制内野党の候補出馬は必須であった。そのため、共産党のニコライ・ハリトノフ中央委員会幹部会員(得票率4.3%)、政党「新しい人々」のウラジスラフ・ダワンコフ第1副代表(同3.9%)、自由民主党のレオニド・スルツキー党首(同3.2%)が出馬したが、プーチンに対抗するような態度・発言は取らず、後述のように、ダワンコフが「在外投票」のいくつかの拠点で1位になった以外は、プーチンを脅かす存在では全くなかった。
他方、危険な候補者は排除された。立候補が却下されたのは、共に無所属のエカテリーナ・ドゥンツォワとボリス・ナジェージュジンであった。ドゥンツォワはジャーナリストで3人の子を持つシングルマザーだ。反戦を訴え、規定の立候補支持の署名も集め、諸々の要件を満たして立候補の申請をしたが、100以上の誤植があるなど書類の不備を指摘され、明らかに政治的な理由で23年12月に立候補を却下された。なおロシア法務省は5月31日、ドゥンツォワおよびウクライナ侵攻で前線に動員された兵士らの帰還を求める妻らを「外国エージェント(スパイ)」に認定したと発表した。政権が氏の活動を危険視し、徹底弾圧する気であるのは間違いない。
ナジェージュジンは元下院議員だが、彼も強く反戦を訴えて立候補を表明した。規定を大幅に上回る立候補支持の署名を集めたが、その署名に不正が見つかったという理由で、中央選挙管理委員会は彼の出馬を認めなかった。ナジェージュジンはその決定を不服として差し止めを求めたものの、2月16日に棄却された。立候補が却下される前、ナジェージュジンへの支持が急増し、署名も一気に増えていたことから、当局が脅威に感じた可能性が高い。
また同年1月31日、ロシア自由正義党のアンドレイ・ボグダーノフと全ロシア人民同盟のセルゲイ・バブーリンがそれぞれ必要な署名も集めて立候補書類を提出したが、その直後に出馬を辞退している。これが自由意志によるものか、脅迫など何らかの背景があったのかは不明である。
第2は、高い投票率の確保のための工作である。まず、大規模に電子投票システムが導入され、投票場に行った人々が電子投票に誘われるケースが極めて多かったと聞く。電子投票では票数をごまかしやすいことから、多くの不正があったのではないかという疑惑が持たれている。
また、今回は投票日が金曜日から日曜日の3日間で、金曜日に組織的な強制投票が多数行われたと言われている。例えば、会社で部局長が部下などを全員連れていくこと、大学のゼミ長がゼミメンバーを全員連れていくことなどが義務付けられ、従わなかった場合は懲戒解雇や大学の単位剥奪などの罰則まで設けられていたようである。そのため、金曜日の段階でかなりの投票率が確保されていた。
ウクライナの占領地域における選挙では、選挙管理委員と軍人が携帯型投票箱を持って、各家庭を回って投票させていたという話もある。プーチンに投票しなければ何をされるかわからないという思いから、本意ではない投票を行った者が多数いたようだ。
第3に、選挙プロセスでの明らかな不正、例えば事前に投票用紙が仕込まれていた、不正に獲得ないし偽装した投票用紙で一人が何度も投票する「メリーゴーランド」投票、票数の偽装などである。
ロシアでは昨年から、プーチンによる人気取り的なさまざまなパフォーマンスが行われ、支持率も2年の開戦以降は、同年9月の部分的動員令の際に77%(翌月、翌々月は79%)になった以外はずっと8割以上と安定しており、実は工作をしなくても勝利は間違いなかったと考えられる。だが、彼は確実な「信任」を選挙で確認し、それを誇示する必要があったのだ。
小さなほころびと厭戦機運
しかし、完全勝利に見える今回の大統領選の中にも、小さなほころびが見えたことを指摘しておきたい。
まず、2月に獄死した反体制派指導者アレクセイ・ナヴァルヌイ氏の陣営がプーチンへの抗議の意を示すためとして呼び掛けた「正午の投票」への賛同者が、3月17日日曜日の正午頃に複数の投票所で行列を作るという現象が生まれた。実際に行列が生まれたことで、ある一定レベルの国民の反対の意思を示すことができたと考えられている。
また、144の国と地域で行われた在外投票ではロシア国内の結果とは若干異なる様相が見てとれた。まずプーチンの得票率は72.3%だったが、G7諸国における結果はより低く、東京で44.1%、英国ロンドンで21.05%、イタリアのローマでは61.73%などであった。他方、近年、ロシアと緊密な関係を維持する中国・北京では67.35%と在外投票の中では高めな数字であった。そして、在外投票で多くの票を集めたのはダワンコフで、ロンドン、パリ、中東欧のかなりの地で1位を獲得していた。このことは、厳しい政治弾圧があるロシアでは本心を言えない国民が多いということ、また、海外にいるロシア人は思想や言論の統制が少ないことから自由に気持ちを表現できること、そもそも政府への反発から海外にいる可能性もあることなどが推察される。
また、厭戦機運、反戦感情が高まっていることは間違いない。前述の通り、ナデージュジン氏の立候補が却下される前の彼への支持の高まりはその一つの証左であろう。また、ウクライナ侵攻に動員された兵士らの早期帰還を求める運動「プーチ・ダモイ」(家路)なども高まりを見せている。最初は、クレムリン(大統領府)近くの「無名戦士の墓」に献花する静かなデモだったが、最近は各地、同時刻に鍋釜を打ち鳴らすような運動を行い、存在感が強まっている。そのため、前述のドゥンツォワ氏と同日に、プーチ・ダモイの幹部も「外国代理人」に指定された。このように明らかに戦争への反発は高まっているのだが、それらに対する政府の弾圧も大きいことから、政権側もこの動きをかなり危惧していると指摘できよう。
それでもロシアの未来は厳しい
それでも、プーチン政権は、経済の活況を強調し、戦況も、国際的な影響力も全てが順調であると必死にアピールし、国民の過半数はその言説を信じている。
実際、ロシアは現時点では、何とか制裁に順応し、戦時経済で経済を回し、今年の経済成長率も3.6%と予測されるほどだ。だが、GDPの8.7%以上を軍事に回し、国防費が歳出の3割を占めるような、かりそめの経済成長が長く続くわけはない。しかも、戦争や統制から逃れるために、ロシアから多くのIT(情報通信)や金融部門などの優秀な若手やさまざまな部門の研究者が流出した。この頭脳流出は間違いなくロシアにとってダメージであり、現在、ロシアはアフリカなどから優秀な人材を高額な給料、無料の生活費、渡航費、ロシアにおける学位保障などの好条件を提示して人集めをしている状態だ。
戦争の終わりはまだ見えないが、いずれにせよロシアの未来は厳しくなることは間違いないだろう。
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