アムステルダム五輪で織田が日本初の金、人見は銀

1928(昭和3)年 アムステルダム五輪で、織田幹雄が三段跳び決勝で15メートル21を出して優勝し、日本人で初の金メダル。陸上女子800メートルでは、人見絹枝が2分17秒6で銀メダル。人見は日本女子で初の五輪出場で、初メダリスト。

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湾岸戦争勃発 日本、国際貢献再考の契機に

1990(平成2)年 イラクがクウェートに軍事侵攻をして湾岸戦争が始まった。米国を中心とする多国籍軍に日本は総額130億ドルの資金支援を実行。しかし、欧米からは経済的な支援に限定した日本の「国際貢献」に批判が高まった。政府は一部野党の反対を押し切り、92年に国際平和協力法を成立させ、自衛隊の国連平和維持活動(PKO)参加に道を開いた。

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その他の出来事

江戸幕府、「大鑑には日の丸を」指示

1854年(旧暦:嘉永7年7月9日) 江戸幕府が日の丸を「日本国総船印」と決め、艫綱(ともづな)へ掲げるよう指示。幕末になり、日本でも幕府や各藩が大型船を建造するようになり、日本の船籍であることを明示する必要があった。

勧銀、農業振興の金融機関として開業

1897(明治30)年 日本勧業銀行(現みずほ銀行)が開業。農工業向け長期資金を低利で融資することを業務の柱に据えたが、その後、工業向けの日本興業銀行が設立されると、勧銀は地方公共団体向けに耕地・農道・水路整備、土地改良などの資金を供給。大正期にかけて市街地不動産金融にも進出した。宝くじ事業を受託し、みずほ銀行に引き継がれている。

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