政府は、太平洋戦争中だった1944年に米軍の潜水艦攻撃で沈没した学童疎開船「対馬丸」について、東シナ海に沈む船体の再調査に乗り出す。内閣府は、関連予算として1億円程度を来年度予算で要求する方針だ。来年は戦後80年の節目で、生存者の高齢化も進んでいることを踏まえ、「記憶の継承」に取り組む。
対馬丸は44年8月22日夜、米軍潜水艦による魚雷攻撃を受けて沈没。沖縄県の那覇港から長崎へ向かって集団疎開する学童ら1400人以上が犠牲となった。
97年12月、海洋科学技術センターの深査機による海中調査で、鹿児島県・悪石島(あくせきじま)の沖、深さ約870メートルの海底に沈んだ対馬丸の船体を確認した。遺族は船体の引き揚げを希望したものの技術的な難しさから断念された。
政府は6月に閣議決定した経済財政運営の指針「骨太の方針」で、来年の戦後80年を視野に「平和学習の充実等の沖縄振興策を国家戦略として総合的に推進する」と明記した。
遺族などでつくる対馬丸記念会の高良政勝理事長らは7月、自見英子沖縄・北方担当相と面会。水中探査船の技術向上などを踏まえ、対馬丸の姿の撮影や遺品収集を含めた再調査の実施を要請し、自見氏も前向きな姿勢を示していた。
政府は水中調査のほか、犠牲者らが流れ着いた鹿児島県・奄美大島の宇検村の住民との交流事業も実施する方針だ。「事件の生存者が高齢化するなど語り部が少なくなる中、遺族などでつくる対馬丸記念会が運営する対馬丸記念館(那覇市)の質を向上させる」(政府関係者)ことを念頭に置いている。
対馬丸が撃沈されてから80年となる22日は、那覇市で開かれる慰霊祭に自見氏も出席する予定。自見氏は15日の記者会見で「沖縄の更なる発展と世界の平和に向けて不断の努力を重ねていくことを誓い申し上げたい」と語った。
自見氏の義父は、故橋本龍太郎元首相。橋本氏は首相在任中、対馬丸の悲劇を伝える記念館設立に携わるなど、沖縄振興に深く関わった。【内田帆ノ佳】
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