東京新聞は、各界で活躍する方々によるコラムの掲載を始めました。キャスターの安藤優子さん、前兵庫県明石市長の泉房穂さん、元自民党事務局長で選挙・政治アドバイザーの久米晃さん、ピースボート共同代表の畠山澄子さんが月1~2回執筆。今後も新たな筆者が加わる予定です。だれもが生きやすい社会をつくるため、知恵を結集するコラムにご期待ください。

左から安藤優子さん、泉房穂さん、久米晃さん、畠山澄子さん

<久米晃コラム 政界の実相>

 愛知県知多郡生まれの身として、地元紙の中日新聞社が発行する東京新聞からコラムの執筆を依頼されたら、判断の可否は限られていました。ただ問題は、文才が全くないので、自分の考えやおもいが、読者の皆さんに伝わるかどうかだけです。

選挙・政治アドバイザーの久米晃さん(川北真三撮影)

◆野中広務氏「中日・東京新聞は…」

 私が最も尊敬する故・野中広務衆院議員(自民党幹事長、官房長官などを歴任。2018年1月死去)は、2001年3月19日の第308回中日懇話会で講演されました。冒頭で「今日も(会場に)来ている愛知県出身の久米君が、地元の新聞ゆえ(中日新聞には)非常に愛着を持っております。私は実は中日新聞と東京新聞は反自民の共産党の次だと思うほど憎んでおりまして、わが党はこの両紙に非常に痛められているという思いが強いものですから…」と発言し、会場からやんやの喝采を浴びたことを今でも鮮明に覚えています。

中日懇話会で講演する野中広務氏=2001年、名古屋市で

 高校、大学と新聞部に所属し、上京後も業界紙の記者をしながら生計を立てていた者からすると、内心そこまで言わなくてもと思ったりもしたものです。  さて、私が政治活動を始めたのは、70年安保闘争が真っ盛りの1969年。まだ高校1年生、15歳のときで、左翼陣営に反対する活動をしていました。以来今日まで、そのときの志を忘れずに生きています。

◆「選挙は総力戦」陣営まとめる参謀にも重責が

 選挙との関わりは、73年4月の名古屋市長選が最初です。このときは、現職市長側の政策ビラの配布を手伝っただけでしたが、本格的に関わったのは、夏休みに、名古屋市の北にある岩倉市の市長選。衆院旧愛知3区選出の江崎真澄衆院議員(自治相、通産相などを歴任。96年12月死去)の秘書さんらと知り合い、多くのことを学ばせてもらえました。  以来、旧愛知3区内の七宝町、木曽川町の町長選を手伝い、翌74年の第10回参院選では、愛知県地方区(現・選挙区)で自民党公認候補の選挙を、もちろん政治活動を主にしながら、投票日までの約半年間手伝いました。  ここでも多くのことを学ぶことができました。「選挙は人生の縮図」「人脈は最高の財産」「味方をつくっても、敵はつくるな」「候補者は商品。運動員は営業マン。商品は、常に最高の状態でなければならない」。そして、「選挙は総力戦」であり、これを闘うには、最高の参謀と最強の兵隊が必要である。もちろん、候補者は、最高の指揮官でなければならないのは当然ですが、やはり陣営をまとめる参謀の責任は重大です。

小泉政権当時、小泉純一郎首相(右)と話す久米晃さん=久米さん提供

 自民党職員となったのは、80年にあった衆参同日選の直前の6月。この衆院選と参院選を第1回として、退職までの約40年間、衆参それぞれ13回ずつ経験しました。また、管理職になるまでの22年間に衆参の補欠選挙、知事や政令指定都市市長選挙などで50回、選挙区での駐在を経験しました。

◆選挙に出るとは、どういうことか

 勝ち負けは時の運としても、選挙でのいろいろな人間模様を見聞きして確信したことがあります。  選挙に出るのは、自分の意思、決意だけの問題ではない。親、きょうだい、親戚縁者、同窓生、勤務先など、あらゆる人を巻き込むことになり、迷惑をかけることを覚悟しなければならない、ということです。  これまで、多くの人たちから選挙への立候補について相談を受けました。まずは「考え直した方がいいですよ」と諭すことにしています。    ◇  これまで国民が当たり前と感じていたことが、通用しない社会になってしまったのではないか。今の社会を見ていてそう感じています。そういうことに対して一言、考え直すきっかけを発信していきたいと思います。

 久米晃(くめ・あきら) 1954年生まれ。愛知県東浦町出身。選挙・政治アドバイザー。業界紙の記者を経て80年、自民党職員に。2002年から選対事務部長、11年党事務局長。19年に定年退職。選挙の実務経験が豊富で、選挙に精通していることで知られる。



鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。