座談会メンバー

高原明生・東京大学教授[当時] 2009–11年

金子芳樹・獨協大学教授 2011–13年

竹中千春・立教大学元教授 2013–15年

丸川知雄・東京大学教授 2015–17年

園田茂人・東京大学教授 2017–19年

高橋伸夫・慶應義塾大学教授 2019–21年

大きな転換点としての2010年代前半

佐藤 座談会の主題は、2010年代のアジア情勢の捉え方、アジア研究の課題です。それでは中国政治研究の高原明生さんからお願いします。


高原明生氏

高原 2008年にリーマン・ショック、世界金融危機があり、その波がアジアにも及びました。そこからいち早く抜け、力強い経済成長を示したのが中国です。10年に日本の国内総生産(GDP)の規模を抜き、世界第2位の経済大国になりました。他方で09年前後から海洋進出をいよいよ活発化させ、近隣国との摩擦が生じました。そして、この頃から世界的な秩序変容も起き始め、G7、G8よりもG20が経済を語る重要な場となりました。こうした大きな変容の下で、中国の台頭を中心にアジアの秩序にも変化が見られ始めました。まさに節目の時期。日本でも東日本大震災があり、さまざまな意味で大きな変化の兆しを人々が感じていた時期だったと思います。


佐藤百合氏

佐藤 東南アジア研究の金子芳樹さん、いかがでしょうか。

金子 私の任期だった2011年から13年は、中国の習近平時代政権の成立前後にあたり、東南アジアでは一帯一路の波が本格的に押し寄せる直前、また米中対立が本格化してその影響が及ぶ直前でした。戦後の東南アジアでは日米が後押しした開発体制が続いていましたが、それがピークに至り、異なる方向へと切り替わっていく時期でもありました。


金子芳樹氏

インドネシアではユドヨノ政権、フィリピンではアキノ政権、マレーシアはナジブ政権、タイではタクシンの妹のインラック政権が登場し、ミャンマーも11年に民政に移管して民主化が急速に進んでいました。それ以前とも、現在とも異なる局面で、隔世の感があります。当時は、東南アジアではまだ親米派が主流で、対米依存も強く、一方で、先ほど高原さんが触れられたように中国の影響力が強まり、それがASEANの結束や統合にも影響し始めていた時期でした。まさに13年以降東南アジアが大きく変わっていく、その直前だったと思います。

グローバルな市民社会から権威主義体制へ

佐藤 続いて竹中千春さんです。南アジアがご専門です。


竹中千春氏

竹中 この時期、北京オリンピック、そしてリーマン・ショックがあり、日本を中国がGDPで抜き、さらに歴史問題や尖閣諸島問題などをめぐる緊張が東アジアにはあり、3.11も起こりました。震災に見舞われた日本は、東アジアの国々、東南アジアの国々や南アジアのインドやパキスタンからも支援されました。

緊張感の高まる一方で、金子さんがおっしゃったようにアジアでは民主主義とかグローバルな市民社会へと進もうとする動きも強まり、そういうアジアと日本がどう連携するかというテーマが重要になりました。これは日本のアジア研究のあり方や意義を新しい視点から考える契機になりました。日本は多くの国々の人々を迎え入れるグローバルな研究教育拠点でもあり、他の国々や地域との知的なネットワーキングを形成する時期を迎えていたと思います。

佐藤 中国政治研究の高橋伸夫さんも市民社会について論じておられました。


高橋伸夫氏

高橋 アジア政経学会監修で2008年に慶應義塾大学出版会から出した竹中先生、私、山本信人先生(慶大教授)編集の『現代アジア研究』第2巻のタイトルが市民社会でした。そう銘打ったのは、当時いかに活力のあるローバスト(強健)な市民社会を築き、それを民主化へと繋げるのかが課題だったからです。これはアジアの特定地域の課題ではなく、全体の課題でした。

ところが、いつの頃からか、市民社会よりも「ローバストな権威主義がどこから来るのか」に関心が集まり出しました。萎縮する民主主義、そして活力を増す権威主義という事態がなぜ生じたのかが問題になったのです。私は今でも、いかに市民社会を強化し、健全な民主主義を作り上げるかが重要だと思っています。しかし、現在、強靭(きょうじん)さを増したように見える中国のような権威主義体制に対して民主主義に何ができるかということが主要な問題設定になってしまった。問題設定が大転換したのです。

習近平政権下での中国の変容

佐藤 続きまして、中国経済研究の丸川知雄さんです。


丸川知雄氏

丸川 2013年に習近平が国家主席になり、その前半5年は私も含めて多くの研究者が中国の変化を比較的肯定的に見ていました。国有企業改革を推進するモメンタムもあれば、民間企業の新規創業も盛んでした。ユニコーンといわれる上場前に10億ドル以上の価値を持つ企業がアメリカに次いで中国に多いことなど、肯定的な側面が少なくなかったのです。そしてこの時期、中国が対外的な関与を強化し、アジアインフラ投資銀行を作ったり、一帯一路構想を推進したりしたわけです。

ところが17年のトランプ政権発足あたりからアメリカが中国を危険視し、それだけが原因ではないと思いますが、中国もより内を固めるようになりました。国有企業の重視、最後は民営企業の圧迫へと向かって行きました。

佐藤 園田茂人さん、中国社会がご専門ですがいかがでしょうか。

園田 私の専門は社会学です。任期であった17年から19年は、徐々にアジアの周辺地域が中国に疑問を持ち始め、実際にさまざまな摩擦が生じた時期です。韓国のTHAAD(終末高高度防衛ミサイル)配備に対して、中国側が報復措置をとったのが17年。フィリピンではドゥテルテ政権期で、中国との蜜月的関係の下で多くの中国系労働者が流入してフィリピン人の反発を買ったのもこの時期です。香港では19年に逃亡犯条例改正案に反対する大規模なデモが起こりました。私自身、長く中国社会を「中から」見ようとしてきましたが、対外的な問題が起き始めると、「外から」見た像と突き合わせるべきだと思うようになりました。

佐藤 高橋伸夫さん、中国政治がご専門ですがいかがでしょう。

高橋 2010年代の大半の時期、中国との研究交流はやりやすかった。毎年1度行っていた学生を帯同しての大学訪問も、一定の制約はあっても大抵歓迎されました。中国との学問的な自由な意見交換がようやく実現したという実感が習近平政権第2期が始まる17年頃まではありました。しかし、20年代に入って交流が断絶しました。われわれはまだその中にいて、脱却がかなわないでいるわけです。

2010年代の日本のアジア研究

佐藤 竹中さん、2010年代の日本の立ち位置、アジア研究の変容についてどうお考えですか。

竹中 アジア研究の歩み、日本とアジアとの関係を振り返るとき、19世紀にヨーロッパの諸帝国で「オリエンタリズム」としての東洋学が、20世紀後半には超大国アメリカの視点を土台にアジア研究が築かれたという歴史が思い起こされます。そして、冷戦期に日本の国際社会への復帰、経済成長を背景に、東アジア、東南アジアとの関係性が変化すると、先進国としての日本の視線に基づくアジア研究が発展しました。それぞれの時代に、パワーを持つ国々の世界認識、アジア認識を基礎としたアジア研究、対アジア関係が模索され議論されてきたのです。

では21世紀のアジア研究・地域研究をどう作るのか。そこでは「ジャパン vs. アジア」ではなく、「アジアの中の日本」という視点、またジャパン・アズ・ナンバーワンではなく、アジアと日本とを対等に置く視点が必要となります。また政策や経済面からの需要なども踏まえ、アカデミア(大学・学術研究機関)に限定されないアジア研究が求められます。しかし、ジャパン・アズ・ナンバーワン思考も、日米関係重視の傾向も根強いままです。他方、アジアには現在も冷戦時代以来の分断が残り、21世紀の新しい分断も生まれています。研究者が自由にフィールドワークをし、議論する場も縮小気味です。その中で、いかに柔軟で越境的な未来志向のアジア研究を探っていくのかが課題です。

佐藤 これからのアジア研究について、園田さんいかがですか。

園田 社会学者は「階級・階層」にせよ「家族構造」にせよ、時空を超えた概念に基づく議論を好みます。概念を軸に理論を整理し、実証的に検証された事実を研究者間で共有するのです。とはいえ、英語を母語にしない東アジア社会では抽象的な概念と実際の事象との間には微妙な乖離(かいり)があって、これに悩んでいます。

翻って、アジア研究は時空を超えて、継承すべき理論や実証的に検証された事実を共有できているだろうか。その時々の時事的問題について説明するのはいいけれど、それだけではアジア研究として継承すべき知識の体系化はできない。特にアジア域内で、自国の研究を行う研究者が急速に増えている状況にあって、日本からアジア研究の「スタンダード・テキスト」を出せないか。そもそも日本のアジア研究者は、その学問的後継者をより集合的に輩出する必要性を認識すべきではないでしょうか。

また、アジアにおけるアジア研究の進展という課題もあります。そこで重要となるのは、「日本」という場における知の生産、アジア研究をどう考えるかです。日本のアジア研究の特徴、向かうべき方向などを真剣に考えるべきだと思います。「日本の外にあるアジアを理解する」というスタンスではなく、アジアと日本が深く、複雑に結びついた知の生産構造を強く意識したアジア研究が、今後はより必要となるでしょう。そうしてこそ世界レベルでアジア研究を語れるようになるでしょう。

佐藤 中国経済研究の視点からはどうですか、丸川さん。

丸川 アジア研究は現在、ディシプリン重視(編集部注:地域の論理よりも、政治学、経済学という学問の論理を重視すること。とりわけ統計処理を重視する傾向を指す)の立場からの強い圧力に直面しています。1990年代、日本の大学ではアジアを冠した学部が増えましたが最近では新設が見られません。地域研究者だと自負している研究者は、目下、不断にディシプリンの方のからの圧力、生存空間の縮小を自覚しているでしょう。地域研究的視点のある経済学は不要だとみなされ、例えば中国語、タイ語ができる経済研究者は必要なく、英語さえできればよいとされています。政治学でも同様だろうと思います。その風潮の下で、現地語、現地の文脈が分からなければ中国は分からないという主張に説得力を与え、存在意義を示すのか。これこそが課題です。私は現地語、現地の文脈が必要と思いますが、それを説得するのは難しい。これこそ地域を冠した学会が地域研究の砦として今後担うべき任務でしょう。

インタビューは、2023年3月6日、nippon.com において実施(園田茂人氏は誌面参加)。原稿まとめを川島真・東大大学院教授が担当した。『アジア研究』(70巻2号、2024年4月)にインタビュー記録の全体が掲載されている。

(文中写真はいずれもnippon.com編集部撮影)

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