現地ジャーナリストMとの奇跡的な交信
この1年、イスラエル軍がガザで行ってきたのは、ジェノサイド(大量殺人)そのものである。十数万人のパレスチナ人が死傷し、百数十万人が住居を失った。
同時に、私にはどうしても知りたいことがあった。この大惨事のきっかけを作ったイスラム組織ハマスに対して、ガザの住民がどんな感情を抱いているのか、である。日本のメディアだけでなく、BBCなど海外のメディアも、不思議なほどこの点に触れない。避けているようにさえ思えるからだ。
幸い、私はイスラエル軍の攻撃開始直後の昨年10月下旬から、ガザ地区中部で暮らすジャーナリスト兼作家の旧友Mと、SNSで定期的に交信ができる環境を手にした。激しい空爆で壊滅的な被害を受けているガザ地区では、SNSが機能する地域が非常に限られている。私がMとSNSで互いの顔を見ながら会話ができるのは奇跡的だった。
Mからの報告によると、ガザ中部などまだイスラエル軍が制圧していない地区では、ハマスの情報機関が厳しい監視の目を光らせていて、大手メディアのジャーナリストたちがハマスに批判的な報道をするのが難しいという。もしハマスを非難する住民の声を拾い、それを伝えようとすると、ジャーナリスト自身に危害が及びかねない。海外メディアが住民の声を伝えないのは、おそらくそんな理由からではないかと思われる。
Mはしかし、SNSを通して自分が取材した周囲の人々の本音を率直に伝えてくる。
「人々はもうカメラの前でも恐れずにハマスをののしるようになりました。SNSを見ると、多くの人々がハマスを罵倒しています。ハマスのために悩まされ苦しんでいるからです。今、人々はハマスへの恐怖心はまったくありません」(2023年11月10日)
「言うまでもなく、人々は疲れ切っています。『ハマスがガザを破壊した』と批判します。ハマスはパレスチナ人に新たな『ナクバ』(1948年に起こったパレスチナ人の大惨事)をもたらしたと。」(2023年11月27日)
「マーケットに行くとき、いつも人々はハマス、とりわけシルワール(ガザ地区でのハマス最高指導者)を『くそ野郎!』『気が狂った冒険主義者!』などと口汚い言葉でののしっています。ハマスの越境攻撃についても『この攻撃で何を達成したのか。武力によるパレスチナの解放? それは全く不可能だ。もしそれをやり遂げるには、戦車や戦闘機など巨大な軍隊が必要だ。イスラエル攻撃の目的は何だったのか? どうして、音楽パーティーで踊る若者や子どもを殺したのか!』と人々は激しく怒っています」(2024年1月27日)
民衆を苦しめるのは占領だけではない
一方で、ヨルダン川西岸の「パレスチナ政策調査研究センター」が、今年5月26日から6月1日に行った世論調査で「ハマスの越境攻撃を『正しい』と答えたガザ住民は57%、『ハマスへの満足度』は64%」という数字を公表している。
この世論調査の数字を元に、私が伝えるMからの報告を「偏った『反ハマス』の少数派の住民の声だけを拾って、あたかもガザ住民全体の世論のように伝えている」との批判もあるだろう。もちろん、私はMの報告がガザ全体を代表していると言うつもりはない。ただ確かなことは、Mからの報告は、実際に戦禍の現地で暮らし、家族2人が戦車の砲撃で殺されたガザ住民の声であり、彼が必死に周囲から集めた声であるということだ。
世論調査の数字がその通りなのか、Mからの報告が事実なのかは、ガザでの戦闘がやみ、世界のジャーナリストたちが現地で実際に取材するときに明らかになるだろう。
住民の「ハマス批判」を強調することはイスラエルのガザ攻撃、ハマス攻撃に加担することであり、「占領するイスラエルと、占領に抵抗して闘うハマス」という構図を見えにくくするという批判もあろう。しかし、イスラエルによる占領という大枠の構造と、パレスチナ内部の構造とはまったく別次元の問題である。2つの構造は現在のパレスチナ情勢の中で並立している。
「パレスチナ対イスラエル」または「ハマス対イスラエル」という二項対立で描くことは確かに分かりやすい。だが、ガザの民衆を苦しめてきたのはイスラエルの占領だけではない。民衆はパレスチナの為政者たちによる悪政にも苦しんできた現実がある。
飢餓状況でタマネギが1個2000円
定期的にMが伝えてくる避難民たちの生活状況は悲惨だ。
現在、ガザでは人口約220万人の75%以上が住居を失っている。日本に換算すると、9000万人以上がホームレス状態ということになる。彼らは1年もの間、学校など避難所やテント暮らしを強いられている。
長期間のテント暮らしは過酷である。秋から冬にかけてガザは雨季に入る。雨が降ると、灌漑(かんがい)設備のないテントの中の地面は水浸しになる。冬の寒さの中でも暖房器具1つない。この生活環境でとりわけ子どもたちの間に風邪やインフルエンザなどが蔓延(まんえん)する。
10月7日前にはガザには普通の日々があった(土井敏邦さん提供)
夏は逆にテントが強い陽射しの熱を吸収し、中は猛烈な暑さとなる。トイレも下水もない。汚水がテントの周囲を流れる。ごみが収集されることもなく、テント群の近くはごみの山ができる。瓦礫(がれき)の下には収容できない遺体が腐乱している。この劣悪な環境の中で蚊やハエなど害虫が大量発生し、それがまた住民を苦しめる。「皮膚病」「肝炎」など感染症が爆発的に住民の中に広がっている。
ジャバリア難民キャンプの家族(土井敏邦さん提供)
7月にイスラエル軍がガザ地区とエジプトとの国境を制圧した後、それまでエジプト側から入っていた援助物資が止まった。食料、生活必需品、薬品などの搬入は激減した。
とりわけガザ北部での食料事情は逼迫(ひっぱく)している。7月末にMが伝えてきた情報によれば、イスラエル軍が北部への支援物資のトラックの搬入を許可しないために、住民は家に保存していた缶詰の食料に頼らざるを得ず、野原や畑の野草を食べている。タマネギ1個が50シェケル(2000円)出さないと買えない状況になった。「ほんとうに飢餓状態です」とMは伝えてきた。
燃料の値段も急騰した。1リットルのディーゼル油が120シェケル(4800円)にもなった結果、交通費が高騰し、避難のために10~12キロを移動するのに1500シェケル(6万円)もかかる。収入のない住民たちに支払える金額ではない。
さらに深刻なのはせっけんやシャンプーなど日常の衛生用品がほとんど入手困難になったことだ。マーケットでも小さなせっけんが1500円ほどもする。このため、子どもたちの間に皮膚病が蔓延しているという。
長期間の過酷な避難生活が、住民たちの心理や行動様式に悪影響を及ぼしていることも見逃せない。Mが最も懸念するのは、これまでガザのパレスチナ人社会を支えてきたモラル・倫理の崩壊である。去年の10月7日以前には見られなかった犯罪が急増している。窃盗、殺人、さらにレイプなど性犯罪も頻発している。また家族の食料を得るため女性の売春さえ横行しているとMは報告してきた。精神的なストレスや空爆の恐怖のために多くの住民がうつ状態あり、イスラム教ではタブーの自殺者も増えているという。
普通の暮らしを破壊した「抵抗暴力」
ハマスによる越境攻撃を「占領への抵抗暴力」と呼ぶ人たちがいる。しかし現実は、逆に「占領からの解放」への道を後戻りできないほどに遠ざけた。ガザとその住民は10月7日以降、壊滅状態に追い込まれた。
「では10月7日以前の占領状態が続いた方が良かったと言うのか!」と反論する「パレスチナ支援者」がいる。私は迷いなく、「今の壊滅状態よりは間違ないなく良かった」と答える。
かつてガザには、占領による不自由な生活ではあったが、平穏な暮らしがあった。家族団らんがあり、2~3食の食事ができ、子どもたちは学校に通い、病気の治療も受けられた。パレスチナ人は「占領との闘い」というイデオロギー(思想)を糧に生きている「特殊な人間」ではない。私たちと同じように、「普通の生活」を送りたいと願う「普通の人間」たちである。「占領との闘い」のために「普通の生活」を捨ててもいいとは思ってはいない。疑うならば今のガザ住民に聞いてみるがいい。彼らはこう答えるはずだ。「10月7日以前の生活に戻りたい」と。
もちろん「占領からの解放」はパレスチナ人最大の願いだ。しかし今回のように住民の「普通の生活」を破壊してしまうハマスの「抵抗暴力」を望んでいるとは思えない。
パレスチナ・ガザ情勢を見るとき、私たちが見失ってはいけないのは、こうした民衆の視点である。
編集部注:土井さんのガザ取材30年の集大成映画「ガザからの報告」が10月26日から東京・新宿K’s cinemaで劇場公開されます。
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