政見放送の収録の様子。直前、秘書が候補者にアドバイスした=東京都渋谷区のNHK放送センターで1990年1月30日、八木正撮影

 政見放送の品位はどこまで低下するのか。この夏の東京都知事選では、候補者が服を脱ぐ過激な政見放送がテレビを通じてお茶の間に流れ、物議を醸した。実は、候補者と無関係な人が巻き込まれ、ストレスにさらされたことはあまり知られていない。だが、こうした「やりたい放題」を止めることは難しいという。なぜなのか。

机に寝そべる候補者も

 「あー、暑いね。緊張で。暑くて、困っちゃうわ」。カメラの前で、一人の若い女性が突然、シャツを脱ぎだした。胸元を強調するような姿になり、カメラを見つめながら首をかしげる――。

 これは、7月に投開票された都知事選に立候補した人物の政見放送だ。

 候補者の意見を伝えるための政見放送では、過去の他の選挙でも奇抜なパフォーマンスが行われ、たびたび話題となってきた。スーパーマンの服装をして「スマイルしてますか?」とポーズを取ったり、公開プロポーズをしたり……。2022年参院選では当時のNHK党の政見放送に、比例代表で立候補した「暴露系ユーチューバー」のガーシー(本名・東谷義和)氏が登場。芸能界の悪事を暴露すると宣言した。

 だが、過去最多の56人が立候補した都知事選は、「品位」という意味ではレベルが違った。服を脱いだ女性の他にも、1分間笑い続けたり、机の上に寝そべったりする候補もいた。

法律は「そのまま放送」と規定

 こうした奇抜な政見放送は、なぜ流せるのか。

 まず、政見放送は衆院選や参院選、都道府県知事選挙で放送されるものだ。公職選挙法で「選挙運動」の一つと定められ、テレビとラジオで流せる。費用は公費で賄われるため、候補者や政党は無料で自らの政見を公共の電波で発信することができる。

 そして公職選挙法は、候補者や政党が録音・録画したものを、放送局が「そのまま」放送しなければならないと定めている。公職選挙法は同時に、候補者や政党は「品位を損なう言動をしてはならない」と規定しているものの、放送局は基本的にそのまま流しているのが現状だ。

過激な内容、手話通訳士の負担に

 こうしたなか、都知事選で一部候補が見せたような過激な政見放送で、ストレスを受ける人たちがいる。手話通訳士たちだ。

政見放送に手話通訳がつかないケースでは、聴覚障害者たちを集めて手話通訳をすることもある=長野市で2016年7月7日午後8時57分、安元久美子撮影

 都知事選では、多くの候補者が政見放送で手話通訳をつけた。服を脱ぐ候補者の発言も、画面後方に立った女性が手話通訳した。候補者が1分間にわたって笑い声を上げ続けたシーンでは、通訳した人もずっと口に手をあてて笑う仕草を見せた。

 聴覚障害者の情報格差の解消に取り組むNPO法人「インフォメーションギャップバスター」の伊藤芳浩理事長は「品位を欠いた発言を通訳することは、手話通訳士に大きな精神的・倫理的負担になります」と指摘する。

 手話通訳士は職業上、発言者の意図を正確に伝える義務があり、不適切な内容を手話にするジレンマに直面しているという。

 テレビで政見放送を見る聴覚障害者にとっても、こうした手話を目にすることは負担が大きいそうだ。伊藤理事長は「視覚的な言語である手話は、差別的な内容や攻撃的な表現がより強く伝わります。感情的なストレスを引き起こす恐れがあります」と危惧する。

 手話通訳の話をすると、「字幕をつければよいのではないか」という声が上がるが、聴覚障害者には手話の方が理解しやすい人もいるため、手話は欠かせないものだ。

 伊藤理事長は対策として、候補者に手話通訳の重要性を理解してもらうための研修▽放送内容の事前の共有による表現方法の検討――などが必要だと訴える。

候補者の「モラル」の問題か

 一方、衆院選では都知事選ほど政見放送は荒れないかもしれない。

公職選挙法は政見放送について、放送局が「そのまま」放送しなければならないと定めている。写真はNHK放送センター=東京都渋谷区で2024年3月21日、尾籠章裕撮影

 都道府県知事選や参院選(選挙区)の立候補者なら誰でも政見放送を流すことができるが、衆院選の小選挙区の政見放送に出られるのは「前回の国政選挙で得票率2%以上」など一定の要件を満たす政党の候補者に限られるからだ。このため、自民党派閥の裏金問題で非公認となる候補者も政見放送に出ることはできなくなる。

 政見放送を巡っては、放送局側が一部カットして放送した例もある。1983年の参院選で、候補者が使った差別用語の音声をNHKが削除した。候補者が裁判を起こして最高裁まで争われた結果、NHK側の勝訴に終わった。最高裁は、差別用語の使用は品位を損なう言動を禁止する公職選挙法に違反すると判断したのだ。

 一連の問題を受けて、与野党が公職選挙法改正に向けた議論を進めている。ただ、憲法が保障する政治活動の自由や表現の自由を考えると、やみくもな規制は望ましくない。自民党の逢沢一郎選挙制度調査会長(当時)は7月、「法的にどんなグリップを利かせるのが適切か。放っておくことができないという問題意識を強く持っているので、そういう姿勢で臨んでいきたい」と述べるにとどめている。【小林慎】

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