衆院選は27日の投開票まであと9日となった。与野党の論戦は物価高などの経済対策や自民党派閥の政治資金問題、外交・安全保障が中心だ。暮らしに身近で重要な論点は他にないのか。深く議論を求めたいテーマについて、経営者や学識者にそれぞれの考えを聞いた。
「選択的夫婦別姓、推進を」 LIFE CREATE社長 前川彩香氏
先進国の中で夫婦同姓を続けているのは日本だけだ。自民党総裁選では選択的夫婦別姓導入を巡る議論が高まったものの、現在はトーンダウンしているようだ。状況が変わらず、残念に感じている。
ルールをつくる立場の政治家が「家族や家庭はこうあるべきだ」といった固定観念から脱却できていないようにも見える。女性議員の数が少なく、女性の声が届きにくいのも問題だ。経団連の政策提言など経済界からも早期実現を求める意見が出ている。様々な視点から検討し、導入に向けた議論を推進してほしい。
結婚をして仕事を続けていくなかで、旧姓の通称使用には様々なトラブルがつきまといキャリアの分断が生じている。社内文書の作成などで戸籍上の姓を記載しなければいけない場合があり、経営者としても不便を感じている。
自分の体験を振り返ると、結婚して名字を変えてから数年はアイデンティティーの喪失に悩まされた。「前川さんの奥さん」「前川さんのお母さん」と呼ばれるようになり、自分の人生が終わって誰かのために生きているような錯覚に陥った。
私は離婚後、新たに戸籍を作り旧姓には戻さなかった。子どもの姓が急に変わることで、学校で周囲からどう見られるかを考慮したからだ。一定の年齢に達してから子が姓を選べるようにすることも、子どもの権利やプライバシーの観点から検討してもいいのではないか。
キャリアを追求している女性もいれば、家庭に入って家族を支え続けている女性もいる。社会では多様な人たちが生活しており、様々な視点や考え方を取り入れる政治を実現してもらいたい。
経営するフィットネスクラブは「自分を愛し、輝く女性を創る」が企業理念だ。私自身はルールを変える立場にはない。「人生は自分で選択できる」という意識改革を事業を通じて伝え、女性をはじめすべての人が活躍できる社会づくりに貢献していきたい。(聞き手は高橋直也)
「少子高齢化、働き方見直せ」 早稲田大教授 黒田祥子氏
自民党総裁選では候補者が乱立し、各人の発言時間が限られたため、センセーショナルな話題に焦点が当たらざるを得なかった。労働政策では解雇規制だけが注目され「簡単に首が切れるようになるのではないか」と思った人も多いと思う。もっと丁寧な議論が必要だった。
解雇規制の見直しも一つの論点だが、労働市場の流動性を高めるにはそれだけでは不十分だ。歴史的な背景があり、複数の制度や慣習が重なって築かれている。日本の硬直的な労働市場は第2次世界大戦後の復興期から高度経済成長期にかけて確立された。当時は人手不足で、企業が人材育成のコストを全面的に負担した。
労働者が長時間労働や転勤などを受け入れる代わりに会社は雇用を約束した。労働者側が自身に必要なスキルを考えて行動する必要はなかった。会社の指示に従って働けば賃金も上がった。
定年延長や再雇用などで引退の年齢が上昇し、技術革新も速くなった。入社時に受けた教育は通用しなくなり、リスキリング(学び直し)などで学びをアップデートしなければ労働生産性が下がるようになった。労働者は学生時代からキャリアに何が必要かを自発的に考える。企業は求める人材像に、応募者が一致しているかを識別する目が必要だ。
政治に議論を求めるのは、労働供給を抑制している税や社会保障制度の問題と柔軟な働き方の環境整備だ。単発・短時間のスポットワーク市場の拡大に日本はまだ慎重だ。不当な労働や賃金の未払いなどはあってはならず、法の保護は必要だが規制が強すぎると市場は広がっていかない。
スポットワークは若い世代の働き方と見られがちだが、働く意欲のある高齢者や子育て世代の市場でもある。今後は人手不足がさらに深刻になる。体調面や家族の事情でフルタイムや固定的な働き方ができなくても、30分、1時間単位の単発で働きたい人はいる。働きたい全ての人が働ける柔軟な法整備は少子高齢化の進む日本こそ挑戦しなければならない。(聞き手は馬場加奈)
「教育・医療にDX活用」 慶応大教授 村井純氏
新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)前後でデジタルトランスフォーメーション(DX)の意識は急速に変わった。在宅勤務など国民レベルでも行動様式の変容を迫られた面もある。一度加速したDXの速度が元に戻ることはもうないだろう。
日本は新型コロナ禍で「デジタル敗戦」を経験した。定額給付金の支給の際など正しいデータを迅速に共有する体制が整えられておらず、諸外国との差が露呈した。菅義偉、岸田文雄政権ではこうした教訓に立ち、官邸主導で改革に取り組んできた。
各分野に共通して、供給サイドでの推進に課題が多い。デジタルに精通した人材の育成・確保などが急務なのは言うまでもない。デジタル社会形成の司令塔と位置付けて2021年に発足したデジタル庁も本来の役割を果たすまでには道半ばの状態だ。
今後のDXを議論する上で重要なポイントがすべての産業がデジタルの力で発展するポテンシャルを持っているということだ。人工知能(AI)などを活用して新たな産業を生み出すこともできるだろう。
今後DXに取り組むべき領域は大いにある。特に重要と考えているのが教育、医療、災害、モビリティーなど「準公共」といわれる分野だ。人々に身近な分野だけにどうサービスを維持・強化していくかに対する国民の関心は高まっていると感じる。
DXのメリットとして行政や社会のコストを抑えられることに目が向くが、それだけではない。端的に言えば、定型業務からの解放や技術革新を通じて挑戦や創造の環境を育てるということだ。デジタルにはない人間的な力の発揮に集中することができる。
デジタルでより良い社会をどう築くか。技術革新と豊富なデータの蓄積で可能性は広がっている。内向きではなく、グローバル、広い視点に立って将来のビジョンを描いてもらいたい。(聞き手は手塚悟史)
記者の目 多様な価値観支えて
人口減、高齢化、低成長、政治の劣化――。日本が抱える課題を数えればキリがない。普段は埋もれてしまうテーマでも、国民に考えるきっかけや材料を提供できるのが、代表を選ぶだけにとどまらない選挙の役割といえる。
「多様性があるからイノベーションも生まれやすくなる。新しい価値観が生まれることでチームの進化につながる」。史上最多の大学選手権9連覇を成し遂げた帝京大ラグビー部元監督の岩出雅之氏の言葉だ。
選択的夫婦別姓、労働市場の改革、社会・経済のデジタル化はいずれもその是非や時間軸を巡って賛否が飛び交う。選択肢を求める声に耳を塞いだり、現状維持を優先したりすることは解決策にはならない。今回の衆院選を、多様な価値観や社会の変革を支える機会にできるか。一人ひとりの意識も問われている。
(手塚悟史)
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