27日に投開票される衆院選。有権者は何を基準に1票を投じるべきなのか。少子化や物価高、外交・安全保障。今の日本に横たわる政策課題を考える。
「安全保障、防災、地方創生の三つがライフワークだった。それを実現するために総裁になるんだ」
自民党総裁選を1週間後に控えた9月20日午前、東京・永田町にある衆議院第2議員会館。毎日新聞の単独インタビューに応じた就任前の首相は、ゆったりとしたそれまでの口調を一変させて語気を強めた。背にした書棚には、国防に関する書籍がずらりと並んでいた。
首相は、防衛庁長官や防衛相を歴任した党内きっての防衛族議員。総裁選で「最後の戦い」を宣言して掲げた政策集には「安全保障基本法の制定」や「日米地位協定の改定の検討」、「地域の多国間安全保障体制の構築(アジア版NATO=北大西洋条約機構)」といった渾身(こんしん)の政策を盛り込んだ。いずれも現行の安保体制を大きく転換させうる刺激的な構想で、自らのカラーが前面に出た内容だった。「自分がやりたいことをどうしても実現したいという思いは、今までの4回よりはるかに強いものがある」。5度目となる総裁選挑戦での悲願の勝利に向け、熱い思いをたぎらせていた。
その11日後、第102代首相に就任した。ところが、政権の基本構想を語る場として注目を浴びた所信表明演説やその後の国会論戦などで、首相は構想を「封印」した。衆院選の党公約にも「日米地位協定のあるべき姿を目指す」と触れただけで、石破カラーが早くも失われたとの落胆と批判の声が交錯した。
構想は「夢物語」だったのか。「どれもこれもすごい時間がかかるんだけれども、始めなければいつまでたってもできない。まずそういう問題について党内議論をもう一回開始しなければいけない」。9月20日のインタビューで、こうも語っていた首相が思い描く安保政策の姿とはいったいどんなものなのか。
首相は2016年に地方創生担当相を退任して以降、政権中枢から距離を置き、時には「党内野党」と呼ばれながら、安保政策などの持論を磨き上げてきた。日米同盟を基軸とする日本の外交・安保政策にとって、根幹とも言える在日米軍の身分などについて定めた日米地位協定の改定もその一つだ。
首相は日米安保条約を「米国は日本の防衛義務、日本は基地提供の義務」を負う仕組みと分析し、「非対称双務条約」だと断じる。今年8月に出版した著書では同条約に基づく地位協定について「これまで問題が起きるたびに運用改善で対処してきたが、そろそろ限界なのではないか」と指摘。日米関係を対称なものとする足がかりとして、国内での訓練用地不足に直面する自衛隊の米国での訓練を進める「在米自衛隊地位協定」の締結や在日米軍基地の共同管理も訴えた。
こうした訴えの背景には首相の実体験がある。
地位協定・NATO… 異彩放つ石破流
石破茂首相が日米地位協定の改定を目指す大きなきっかけになったのが2004年8月13日、米軍の大型ヘリコプターが沖縄県の沖縄国際大に墜落した事故だ。原因究明などにあたろうとした日本の警察は地位協定に阻まれて現場に立ち入ることさえできず、日本政府は厳しい世論の批判にさらされた。
当時、防衛庁長官を務めていた首相は、批判のまっただ中に身を置いた。地位協定の改定に言及する際、首相は度々この事故を振り返り、多数の死傷者を出す事案が今後発生すれば日米同盟が窮地に陥るとの危機感を示す。
「米国においては米軍人・軍属の権利が最大限守られるべきだ。日本においては日本国民の権利・人権が最大限に尊重されるべきだ。その調和点を見いださなければならない」。首相は9月のインタビューでこう語り、米軍関係者に対する日本の刑事裁判権の適用も含め、地位協定見直しが必要だと率直に語っていた。
多国間安全保障体制としての「アジア版NATO(北大西洋条約機構)」の構想も異彩を放つ。自民党総裁選では、ロシアに侵攻されたウクライナが欧州諸国の相互防衛システムであるNATOの加盟国でなかったため抑止が破れたとの見方を示唆。「アジアにそのようなシステムがないことは極めて問題だと20年以上前から思っている」と訴えた。
首相は、日米同盟や米豪ニュージーランド3国間の相互安全保障条約(ANZUS)など、既存の枠組みを統合していく道筋を想定する。だが、中国に対する警戒感を強める国々でも有事の相互防衛を許容するまで国民的な理解が得られているとは言えない。そもそも、欧州に比べ、アジア各国の同質性は低い。急速に力を増す中国に対する距離感も各国で違いがある。
首相は「宿題」として、かつて自民内で議論を交わした「安保基本法」の制定にも言及する。専守防衛や非核三原則などの「国是」に法的根拠を持たせることなどが法の趣旨で、首相は再び議論を喚起し、憲法改正とセットとなる法体系の実現を目指す。
さまざまな構想の実現に向け、首相は関連施策の推進に関わる政権の要職に岩屋毅外相、中谷元防衛相、小野寺五典党政調会長ら自民防衛族の重鎮を据えた。一方で、長年の「非主流派生活」のため、党内基盤は盤石ではない。構想が内外に波紋を広げる中、首相が持論を「封印」する場面も増えている。
10月9日の衆院解散を受けた記者会見。「石破らしさ」が阻まれている理由を問われた首相は「自民の中できちんと議論し、コンセンサスを得なければならない」とした上で、こう強調した。「党内にいろんな考え方がある。なんで自分の意見をわかってくれないんだという人がいないように丁寧に丁寧にやっていきたい」
米は「現実離れ」と冷ややか
首相が打ち出した「アジア版NATO(北大西洋条約機構)」は、米国など想定される連携相手から冷ややかな視線を浴びている。従来は米国に「アジアの実情に合った連携網づくり」を助言する役回りだった日本が、逆に米国から「現実離れ」(米元高官)を指摘される皮肉な状況となっている。
「米国はアジア版NATOをつくろうとしているのではない」。バイデン米大統領の側近、サリバン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は今年7月の安保関連のイベントでこう強調した。9月の自民党総裁選のさなかには、クリテンブリンク国務次官補(東アジア・太平洋担当)が首相の構想について「議論するのも時期尚早」とくぎを刺す場面があった。
バイデン政権は中国との戦略的競争を見据え、同盟国との個別連携だけでなく、同盟国同士の結びつきを強めるのに腐心してきた。日米を中核として、オーストラリア、フィリピン、韓国との3カ国協力、豪印との4カ国協力の枠組み「クアッド」の連携を強化。米国の有識者やメディアでも「アジア版NATO」の可能性は話題にはなってきた。
しかし、米政府は一貫して「軍事同盟をつくる意図はない」と強調している。米シンクタンク「ランド研究所」国家安全保障研究部のジェフリー・ホーナン日本部長は「NATO加盟国と異なり、インド太平洋地域の各国には共通の脅威認識も相互防衛の意思もない。例えば、日本とオーストラリア、日本と韓国でも対中国の脅威認識は異なる。大半の専門家は、アジア版NATOは非常に難しいと考えている」と指摘する。
首相が9月に米シンクタンク「ハドソン研究所」への寄稿で、連携相手に挙げた国からも否定的な声が上がっている。インドのジャイシャンカル外相は今月1日に「インドはどの国とも条約上の同盟国になったことはない。我々には(日本とは)異なる歴史、異なるアプローチの方法がある」と指摘。カナダのブレア国防相も9月の米ブルームバーグ通信のインタビューで「インド太平洋の戦略的競争への対応は、NATOとは異なる形になるだろう」と述べた。
一方、米政府は、首相のもう一つの持論であり、野党第1党の立憲民主党も訴える「日米地位協定の改定」については慎重に出方をうかがっている。国務省や国防総省に改定協議に応じる用意があるか尋ねたが、いずれも回答を避けた。
ホーナン氏は「米軍人が関与した疑いのある事件の司法権の問題が念頭にあるのなら、米政府が議論に応じるとは思えない。米国は、どの国とも改定の協議には消極的で、改定を強硬に主張すれば、日米間に摩擦を生むだろう」との見方を示す。また、米国で自衛隊が長期間訓練をする案に付随する地位協定に関しては「訪問部隊地位協定のようなもので、在日米軍に関する現行の日米地位協定とは何の関係もない」と指摘する。
元米政府高官は「地位協定の見直しを巡る議論は常に難しい。やるからには相応の目的が必要であり、例えば南西諸島での米軍と自衛隊の基地の共同利用を促進するような改定なら価値がある」との見方を示した。
立憲、「自民継承」も視野
野党第1党の立憲民主党は、9月の代表選で「現実的な安全保障政策」を強調した野田佳彦代表が率いる。衆院選での政権交代を掲げる野田氏は「空白を作らないため、一挙に180度転換するようなことはできない」と訴え、自民からの「継承」も視野に入れる。緊迫化する国際情勢に加え、かつて政権を担った際の「トラウマ」が背景にある。
「日米同盟を基軸とした安定した外交・安全保障政策を進める」。立憲は今回の衆院選公約でこう明記した。日米地位協定の改定などは訴えるものの、政策の根幹は自民政権から引き継いだうえで発展させようとする姿勢は鮮明だ。
立憲の源流とも言える民主党政権(2009~12年)で外交・安全保障政策は大きく混乱した。09年の政権交代時、鳩山由紀夫首相(当時)は「東アジア共同体構想」を打ち出し、アジアを重視して日米同盟を相対化すると訴えた。加えて、沖縄県の米軍普天間飛行場に関しては「最低でも県外移設」と表明した。しかし、いずれも実現せず、日米関係は不安定化した。安保政策は旧民主系政党の「アキレスけん」と今もやゆされる。
民主党政権最後の首相を務めた野田氏は代表選で当時を振り返った際、「前の前(の鳩山政権時)に日米関係がかなり後退していた。私は立て直しの役だった」と苦々しく語った。09年当時を知る立憲関係者は自嘲気味に語る。「あの時は自民党や官僚が寄ってたかって潰しに来た。今、野田さんが変えると言っても霞が関(の官僚)が猛反発して変えられないし、変わらないよ」【川口峻、ワシントン秋山信一、中村紬葵】
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