日本では夫婦同姓が義務づけられている。婚姻届は、夫か妻のいずれかの氏を選んで記載することを求めている=千葉市内で2024年10月15日午後3時40分、平塚雄太撮影

 研究職は、自身の名前で発表する論文などで過去の業績が重視される。だから、50代の女性研究者は、姓を変えたくなかった。二十数年前に結婚。同じ研究職だった夫と議論した末、くじ引きで負けた女性が戸籍上の姓を変えた。そこから苦労が始まった。

 結婚した時に夫婦で同じ姓にするか、別々の姓にするかを選べる選択的夫婦別姓制度。前向きな政党は多いものの、自民党は慎重姿勢を崩していない。

「カッコの意味が通じない」

 日本は法律で、夫婦別姓が認められていない。その代わりに、ビジネスの現場などで旧姓の通称使用が広がっている。

 国際的な学会に所属する研究者の女性は、学会の年会費をクレジットカードで支払っている。カード名義は戸籍名だが、学会の登録は旧姓。このため、支払い後にいつも「名前が違うが、自分は会費を払った」とのメールを学会事務局に送る。

 2023年6月、経団連は政府に「選択的夫婦別姓」の早期導入を求める提言をまとめた。

 夫婦別姓を認めない今の制度は、女性の活躍が広がる中で海外でのビジネスなどに支障が出かねず経済的な損失を招く。にもかかわらず、長年にわたり国会での議論が棚上げされてきたことに対し、経団連として強い危機感を示した。

 一方、導入に慎重な立場の国会議員らは、旧姓を通称使用する分野の拡充で対応できるとの考えを示している。

 これに対し、研究者の女性は「現場を知らない人たちの意見ですよね」。

旧姓の通称使用では「根本的な問題は解決しない」と話す女性研究者=2024年10月15日、平塚雄太撮影

 女性は海外の空港で、入国手続きの度に説明を繰り返してきた。

 日本は夫婦同姓を法律で義務づけている。戸籍上は夫の姓で、仕事では旧姓を使っているので、パスポートに二つの姓が表記されている。カッコでくくられている姓は旧姓だ、と。

 でも、入国審査官は、どうも納得できないようだし、とにかく説明に時間がかかる。「何より、カッコの意味が通じない。これを理解してもらうのが大変なのですよね」と苦笑いする。

 選択的夫婦別姓の導入に反対する理由として「家族の一体感を損なう」との主張がある。夫婦で異なる姓が珍しくない海外での生活を経験している30代の女性研究者は、こう指摘する。

 「それだったら世界中の家族が崩壊していますよ」

事実婚を選択する女性起業家は「多い」

 「(多くの人が)長い間、声を上げてきたにもかかわらず、『いつか』『慎重に』などと言われ、持ち越され続けてきた。私たちにとっては先の話ではなく、来月、来年にも変えてほしい喫緊の問題なんです」

 10月1日に行われた経団連による選択的夫婦別姓に関するシンポジウム。経営者でクリエーティブディレクターの辻愛沙子さん(28)は早期導入を求めた。

 19年に20代半ばで起業して以降、パートナーの男性との結婚も考える中で、夫婦同姓の影響を自分のこととして捉えるようになった。

経団連の「選択的夫婦別姓の早期実現を求めるシンポジウム」で意見交換する登壇者ら=東京都千代田区で2024年10月1日午前11時28分、町野幸撮影

 会社役員の登記は、数年前の制度変更で旧姓も併記できるようになったものの、商標の登録や決済用の銀行口座など代表者の氏名とひも付くものは少なくない。旧姓を通称使用している社員もいて、給与や税制などの手続きには戸籍姓との照合も必要となり、煩雑な作業が発生する。

 「中小企業やスタートアップには事務対応の人的な資源が限られている。女性起業家は珍しくなくなったが、事実婚を選択する友人は多いです」

 辻さんのパートナーの男性も自分と同じ経営者。仮に男性が姓を「辻」に変えても、自分と同じ問題がつきまとうことになる。

 ビジネス的な問題だけでなく、アイデンティティーの面からも、夫婦同姓を強いる現状に、強い違和感を抱く。

 辻さんは姉がいるものの、現状では女性の9割が改姓している。パートナーの男性も1男2女の長男だ。家、キャリアを積んできた自分という存在……。考えれば考えるほど、名字の「重み」を感じ、簡単に手放す気にはなれない。

 話し合いを続けたが、互いに改姓を強要できない。「選択的夫婦別姓が導入されるまで婚姻届の提出を待とうか」。今は二人でそう話しているという。

「作り上げられている」可哀そうな子ども

 選択的夫婦別姓を導入すれば、両親がそれぞれ、別の姓を名乗るので「子どもが可哀そうだ」として、反対する意見がある。だが、辻さんは「勝手に可哀そうな子が作り上げられている」と疑問視する。

 辻さんが生まれた1995年は、共働き世帯が専業主婦の世帯を上回った時期だ。男性中心の会社社会から、女性も働き、男女が一緒に家庭を支える形へと変わり始める中、自身もフルタイム勤務の両親の元で「鍵っ子」として育った。

 戦後間もなく憲法で男女平等が位置づけられ、80年代には男女雇用機会均等法も施行された。だが、女性が社会進出をしようとする度に、母親が家にいない子どもは「可哀そう」と言われ続けてきた。今回の議論も同じことの繰り返しに映る。

arca代表の辻愛沙子さん=同社提供

 「少なくとも自分の場合、可哀そうな子どもではなかった」。むしろ夫婦二人で家庭を支えている環境で育ったからこそ、男女の役割分担にとらわれず、自由にキャリアを歩めた、との自負がある。夫婦別姓の議論においても、可哀そうとの「レッテル貼り」をしないでほしい。

 夫婦同姓を否定しているわけではない。求めているのは単に「選択肢」を増やすことで、希望する人はこれまで通り夫婦同姓を選べるようにすればいい。

 「制度が実現しても、社会が大きく変わるわけではない。ビフォーアフターではなく、社会にとっては新たに選択肢が一つ増える、プラス1なんです」

 近年の世論調査では選択的夫婦別姓について、7割以上の支持が集まっている。

 辻さんはこう、力を込める。

 「実現に向けて今後のカギになるのは、政治家でも官僚でもなく、より強い当事者の世代の世論の後押し。社会は待っていれば誰かが変えてくれるのではなく、私たち自身で変えていくという姿勢が必要です」

 選択的夫婦別姓の導入について、多くの政党は推進を掲げる。一方、自民党は石破茂首相が総裁選で、導入に前向きな姿勢を示していたものの、公約では「運用面で対応する形で一刻も早い不便の解消に取り組む」として、後退した。今後の夫婦の氏制度の在り方についても「どのような形がふさわしいかを含め合意形成に努める」としている。日本維新の会は、旧姓使用にも法的効力を与える独自の別姓制度を創設するとし、参政党は導入に反対している。

最高裁「国会で論じ、判断する事柄」

 世界経済フォーラム(WEF)が世界各国の男女格差をまとめた24年版「ジェンダーギャップ指数」で、日本は対象146カ国の中で118位。経済、政治の分野で依然として大きな格差がある。

 法務省によると、結婚により夫の姓を名乗る女性は95%にのぼる。旧姓の通称利用は拡大されてはいるものの、契約や各種手続き、キャリア形成、海外渡航などで不利益を被るおそれがある。

 法相の諮問機関である法制審議会は96年、「選択的夫婦別姓」の導入を答申。これを受け、法務省は民法改正を準備していたが、自民党の保守系議員らの反対を受け、国会提出は見送られた。

 導入を求める声は根強く、訴訟も起こされてきた。ただ、最高裁は15年と21年、いずれも夫婦別姓(氏)を認めない民法などについて「合憲」と判断した。一方、15年の判決は、制度のあり方は「国会で論ぜられ、判断する事柄」とし、国会での議論を促した。

 こういった経緯から、東海大学の永山茂樹教授(憲法学)は「国会は宿題をサボっている」と指摘する。また、姓を自分で選ぶことは、憲法13条の幸福追求権に関わるとし、こう話す。

 「姓に愛着を持つ人、旧姓で築いたキャリアを大切にしたい人、パートナーの姓になることを望む人。それぞれの幸福と自由をできるだけ尊重すべきだ、というのが憲法研究者の共通理解です」【平塚雄太、稲垣衆史】

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