4月の衆院補選(東京15区)で、政治団体「つばさの党」の振る舞いが問題となった。「答えろよ!」などと拡声器で叫びながら他陣営を威圧し、候補者らは公職選挙法違反(自由妨害)の容疑で逮捕、起訴された。過去にヤジを飛ばした男女が警察に排除された事例との比較も注目されたが、選挙妨害とヤジはどう違うのだろうか。
大音量で追い回し、選挙活動を妨害
つばさの党の事件では、「売国奴」などと大声で叫ばれ、選挙カーを追尾された他候補者らは、街頭演説を中止したり演説日時の事前告知を控えたりせざるを得なかった。
公職選挙法225条によると、「候補者などに暴行や威力を加える」「交通や集会の便を妨げ演説を妨害する」などが自由妨害にあたる。他陣営の選挙カーを追い回して交通の便を妨げ、大音量で選挙活動を妨害した点は、まさに要件に当てはまる。
同列に語られた道警ヤジ排除訴訟
つばさの党の行為の比較対象に挙がったのが、街頭演説をしていた安倍晋三首相(当時)にヤジを飛ばし、北海道警に排除された男女2人の訴訟だった。1審・札幌地裁判決、2審・札幌高裁判決ともに、一部の警察官の行動を表現の自由の侵害だと認定した。
逮捕されたつばさの党の一人はX(ツイッター)で「北海道のヤジも、俺らがやったヤジも全く同じ」と投稿。「道警ヤジ排除訴訟の司法判断が、選挙妨害の取り締まりを萎縮させる可能性はないのか」などと言及する一部報道もあった。
実際、道警ヤジ排除の事例は、自由妨害罪の行為と「全く同じ」なのだろうか。
男女2人の原告側弁護団の小野寺信勝弁護士は「答えは明確で、全く別物」と断言する。「原告も被告も『自由妨害にあたらない』との認識は一致していて、争いはなかった」と論点の整理を促す。
ヤジと自由妨害は「全く別物」
では、どう区別できるのか。小野寺弁護士は「聴衆の『聞く権利』に着目するとわかりやすい」と話す。
街頭演説は、投票の判断材料となる情報を得る重要な機会だ。公共の場のため、批判的な意見の聴衆も当然いる。批判に対する候補者の反応も一つの判断材料になるため、ヤジも聴衆の利益になり得る。
だが、そのために、演説を聞くことのできる環境でなくてはならない。演説を中止させるほどの騒音や暴言は、聴衆の聞く権利を損ねてしまう。
マイクで演説中の安倍元首相に「安倍辞めろ」「増税反対」と声を上げた原告の2人は、拡声器を使わずに肉声で主張した。「演説を聞こえなくするのは不可能な状況だった。『表現の自由』として守られるべき行為だ」と小野寺弁護士は指摘する。候補者などを批判するという意図が同じでも、その手段の違いをきちんと区別することが、表現の自由と選挙の自由の両方を守るポイントになってくる。
批判=妨害と捉えられる危うさ
政治について意見を表明する権利は、憲法21条で定められた表現の自由だ。プラカードを持って街頭に立つ▽デモに参加する▽SNS(ネット交流サービス)で発信する――など。表現の方法は多様で、「ヤジ」もその一つに過ぎない。
こうした行為が単なる妨害と同一視される風潮に、小野寺弁護士は懸念を示す。「市民の政治活動は特別なことではない。特に政権与党は常に現状への批判を受けるものだ。公共の場での演説は批判に応答する場でもある。批判を妨害だと糾弾する社会は、自由な意思表明を萎縮させてしまう」と強調する。
表現の自由を抑圧しない警備を
街頭演説を巡っては、2022年7月に奈良市内で演説中だった安倍元首相が銃撃され死亡する事件や23年4月に岸田文雄首相(当時)が遊説先の和歌山市内で爆発物を投げつけられる事件が相次いだ。候補者や聴衆の安全を守るため、警備は不可欠。だが、警察の権限は法令に基づき執行されなければならず、表現の自由を侵してはならない。
小野寺弁護士は警備の難しさについて「もしも現行規定が曖昧で警備に支障があるのならば、そこを議論すべきだ。表現の自由を抑圧する形で解決すべきでない」と念を押す。
自由妨害とヤジの混同に不安をあおられることなく、「選挙の自由」と「表現の自由」の両方を守る公正な衆院選となることがのぞまれる。【後藤佳怜】
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