総理大臣指名選挙を行う特別国会をめぐっては、30日、衆議院側で、自民党が立憲民主党に対し、政府が11月11日に召集する方針であることを伝えました。
31日は、自民党の石井参議院国会対策委員長と立憲民主党の斎藤参議院国会対策委員長が会談し、石井氏が召集についての政府の方針を伝えるとともに、会期は4日間程度にしてもらいたいと政府から要請があったと説明しました。
そして、11月5日に議院運営委員会の理事会を開き、政府から正式に召集日の伝達を受けることを提案しました。
これに対し、斎藤氏は「4日間の会期はいかがなものか。事情があり、いったん特別国会を閉会する場合は速やかに臨時国会を召集すべきだ」と指摘し、改めて臨時国会を召集する場合は予算委員会を含め、十分な審議を行うよう求めました。
自民 石井参院国対委員長 政策で歩み寄りを
自民党の石井参議院国会対策委員長は国会内で記者団に対し「衆議院は与党で過半数の議席がないので国民民主党が掲げている物価高に対応する実質賃金アップなど手取りを増やすことについて、歩み寄れるような政策合意ができればよい」と述べました。
総理大臣指名選挙 決選投票は現在の憲法のもとで4回
総理大臣指名選挙は、衆参両院のそれぞれの本会議で行われ、投票は、1人の名前を書く「単記記名」の方式がとられます。
投票総数の過半数を得た人が総理大臣に指名されますが、1回目の投票で誰も過半数に届かなかった場合には、上位2人の決選投票が行われます。
決選投票では上位2人以外の名前が書かれた票は、無効票としてカウントされる仕組みで、2人のうち、多数を得たほうが総理大臣に指名されます。
衆議院での決選投票は現在の憲法のもとで4回あります。
直近では1994年。
非自民8会派の連立政権の枠組みが崩れ、羽田内閣が退陣したあとの指名選挙で、政権復帰をねらう自民党が社会党とさきがけと組んで推した村山富市氏と、新生党や公明党などが推した海部俊樹氏が争いました。
決選投票の結果、村山氏が261票、海部氏214票で、村山氏が総理大臣に選出され、自民・社会・さきがけの3党連立政権が誕生しました。
その前は1979年。
大平正芳氏と、福田赳夫氏による自民党どうしの争いでした。
衆議院選挙での敗北を受けて自民党内の派閥が激しく対立する「40日抗争」が起き、自民党から2人が総理大臣候補となる異例の事態でした。
決選投票では大平氏が138票、福田氏が121票となり、大平氏が指名されました。
一方、こうした動きに野党側が反発し、250票余りが無効となりました。
さらにさかのぼると、終戦後の1948年には、吉田茂氏と片山哲氏、1953年には、吉田氏と重光葵氏による争いで決選投票となり、いずれも吉田氏が選出されました。
一方、参議院では衆議院と多数派が異なる「ねじれ国会」の際など、これまでに10回、決選投票が行われています。
衆議院と参議院で異なる指名があった場合は、両院協議会が開かれ、そこでも意見が一致しない場合は、憲法で規定された「衆議院の優越」に基づいて、衆議院の議決が優先されます。
これまでに、衆参両院で投票結果が異なったケースは5回ありました。
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。