24日投開票される名古屋市長選では、前市長が打ち出した名古屋城天守閣の木造復元計画が大きな争点の一つとなっている。だが今、天守閣は入場禁止になって7年目に入る。なぜ、こんなことになっているのか。各候補者はどんな主張をしているのか。【真貝恒平】
徳川家康ゆかりの名城
名古屋城天守閣は徳川家康の命により1612年に完成。5層の屋根を有する「5層5階地下1階」の建造物だ。江戸時代に流行した民謡で「尾張名古屋は城で持つ」と歌われ、当時から自慢の城だった。1930年には城郭の国宝第1号に指定されたが、45年の空襲で焼失。59年に鉄筋コンクリート造りで再建された。
前市長がこだわった「木造復元」
そんな名古屋城天守閣の木造復元を主張したのが2009年の市長選で初当選した河村たかし前市長だった。戦前の写真や実測図などが多く残っているため、「史実に忠実に復元できる」と木造による建て替えを目指すとした。
建て替えは500億円超の総事業費が見込まれ、当初は東京オリンピックが開催される20年の完成を目標とした。しかし、市の有識者会議から「歴史的価値の高い石垣の保存を優先すべきだ」との声が上がったため計画はストップ。石垣の保存方法などの検討を重ね、23年6月に有識者会議の同意を得たが、完成見通しは最短で32年度とずれ込んだ。
バリアフリー化で事業ストップ
天守閣は耐震性が低いことや木造化に向けた石垣などの調査のため、18年5月から入場が禁止されている。計画の遅れに伴い、入場禁止は今も続く。
バリアフリー化の問題も事業に暗い影を落とす。市は22年末、車いすの利用者と介助者が1人ずつ乗って、小型昇降機を設置する案を発表した。「地上から天守1階まで」を設置し、さらに上層階まで昇れるかどうか検討しているが、障害者団体などが求めている「最上階までの昇降機設置」について、河村氏は否定的だった。
23年6月の市民討論会では、一部の市民による障害者に対する差別発言問題が起こり、事業はまたもストップ。こうした状況で今回の市長選を迎えた。
主な候補者のスタンスは……
市は木造化に向け、18年から木材調達を進めているが、管理費だけで年1億円かかるとされている。
河村氏から後継指名を受けている元副市長、広沢一郎氏(60)は「史実に忠実な復元を必ず完遂」と天守閣の木造復元を主張する。一方、元参院議員、大塚耕平氏(65)は木造復元には言及せず「これまでの経緯と事実を市民に説明し、合意形成する」としている。市民団体代表、尾形慶子氏(67)は木造復元に反対。「現天守閣は戦後復興のシンボル。耐震補強すべきだ」と主張する。
名古屋市長選立候補者(届け出順)
太田 敏光(おおた としみつ)76[元]会社員
無新
広沢 一郎(ひろさわ いちろう)60[元]副市長
無新[保]
水谷 昇(みずたに のぼる)61旅行会社社長
無新
不破 英紀(ふわ ひでき)64[元]大学講師
無新
鈴木 慶明(すずき よしあき)85[元]自治省職員
無新
大塚 耕平(おおつか こうへい)65[元]参院議員
無新[自][立][国][公]
尾形 慶子(おがた けいこ)67政治団体役員
無新[共]
名古屋城天守閣の木造復元化を巡る主な経緯
1610年 徳川家康の命で築城開始
12年 天守閣が完成
1930年 城郭の国宝第1号に指定
45年5月 名古屋空襲で焼失
59年 鉄筋コンクリートで天守閣再建
2006年 名古屋市が耐震改修計画策定
09年4月 河村たかし市長が木造復元の検討表明
14年9月 2020年開催予定だった東京オリンピックまでの復元を目指す
16年 完成を2年遅らせ、名古屋市が22年7月完成の工程案を提示
19年4月 木造復元に向けた既存天守閣解体の許可を文化庁に申請
6月 文化庁が「継続審査」と回答
8月 22年の完成を断念
23年3月 石垣保存やバリアフリーの方針などを盛り込んだ整備基本計画案を公表
最短で32年度完成の見通しを説明
6月 市民討論会で参加者から差別発言。問題の検証が終わるまで天守閣の議論は凍結
24年9月 差別発言の検証委員会が最終報告で、市側に対し「人権感覚の希薄さ」を指摘
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