「サービスを受け取る喜びと税の痛み」のバランスがよくなれば社会の公正さを感じる人が増えるでしょう(写真:metamorworks / PIXTA)「親ガチャに外れたから大学進学をあきらめる」「貧しくて病院に行けない」「家族の介護のために仕事を辞める」……。現代社会にはお金や運、自己責任で人生が決まる要素が色濃くあります。たとえ今は幸せだとしても、誰もが一時の出来事や不運で、奈落の底に突き落とされるリスクはあります。そのような社会で安心して暮らし、明るい未来を描くことができるでしょうか。だからと言って、困っている人にお金を配ることは本当の救いになっているのでしょうか。財政学者・井手英策氏の著書『ベーシックサービス:「貯蓄ゼロでも不安ゼロ」の社会』から一部を抜粋・再編集し、教育や医療、介護、障害者福祉を無料で誰もが受けられるようにする「ベーシックサービス」について考えます。

満たしあいの世界を作る

実は、みんなに配るというとき、それは「お金」で配るのか、「サービス」で配るのかで大きな違いが生まれます。

お金とサービスには決定的な差があります。それは、お金はサービスと違って、すべての人たちが欲しがってしまう、ということです。

みんなが欲しいのに、子どものいる世帯だけに配る。そうすれば、子育ての終わった中高年、年金が足りずに四苦八苦している高齢者、子どものいないカップル、いろんな層が反発するのは避けられませんよね。

そうなんです。子ども手当に対するバラマキ批判は、それがバラマキかどうかということ以上に、お金の性格上、「もらえる人=受益者」と「もらえない人=負担者」の間に分断が生まれることにこそ、本質的な問題があるのです。

この対立をなくすためには、《だれもが受益者》になるしかありません。やりかたは二つ。一つは全員にお金を配ること。もう一つは、サービスを全員に配ることです。

前者は、いわゆるベーシックインカムですね。この場合、まさしく全員にお金を出すことになりますから、相当な費用がかかります。

一方、後者のベーシックサービスであれば、必要な人しかサービスを使いませんから、コストを大幅に減らすことができます。

幼稚園がタダになったからといって、幼稚園に入りなおす大人はいません。健康な人はわざわざ仕事を休んで病院に行こうとはしません。

この強みをいかして、高齢者には介護、子育て世代には大学といったように、それぞれが必要とするサービスを全体にバランスよく配っていけば、低いコストで全体を受益者にしていくことができます。

サービスとお金の違い

もうひとつ確認しましょう。それは、お金は疑心暗鬼を生むという問題です。

たとえば、障がい者に車イスを貸すとします。障がいのない人はそんなサービスは不要ですから、見向きもしないでしょう。

でも、お金を出すといったとたん、障がい者のふりをして不正を働く人があらわれるかもしれません。社会の全体が「あいつは不正な利用者では?」と心配になるでしょう。これがお金を配ることの難しさです。

サービスとお金の違いは、歴史からも学ぶことができます。

江戸時代の農村コミュニティを見てください。人びとは田植えや稲刈り、屋根の張りかえ、警察、消防、寺子屋のような初等教育、さらには介護までも、地域に住む人たちがみんなで汗をかき、お互いの《必要》を満たしあって生きていました。

お気づきですか? これらはすべてサービスです。お金ではありません。

メンバー全員にお金を配ると、そのための財源が必要になりますが、みんなで汗をかく=同じお金を出してみんなに配るのでは意味がありません。

ですから、歴史的には、みんなでひと所にお金を蓄えて、順番に給付を行ったり、必要に応じてそれを借りたりする方法をとりました。大人も、子どもも、みんなに同時にお金を配るという経験はあまり例がないのです。

サービスの場合、メンバー全員が汗をかき、メンバー全員が必要に応じて受益者になります。

必要なときに、必要な人がサービスを利用する。そのための協働は歴史のいたるところで発見することができますし、そうした協働のためにこそ、人々はコミュニティを作ってきたのでした。

みんなが必要とするサービスがあるから、みんなで汗をかき、必要を満たしあう。そんな世界のなかで人びとは共に生き、共に暮らしてきたのです。

お金持ちが受益者になれば格差は広がる?

僕の提案が一風変わったものに見えるのは、お金持ちに対してもサービスを給付するからでしょう。

理屈で考えると、貧しい人たちだけでなく、お金持ちにもサービスを出すわけですから、両者の収入の差がうまらない感じがしますよね。

そうした心配をなくしてくれるのが下図です。

ベーシックサービスによる再分配のモデル図(出所:『ベーシックサービス:「貯蓄ゼロでも不安ゼロ」の社会』)

貧しいAさん、ふつうのBさん、お金持ちのCさん、それぞれに定率で税をかけ、等しくサービスを提供してみます。すると最終的に、AさんとCさんの所得格差が小さくなっていることがわかります。

確認したいのは、「お金持ちが税を払い、貧しい人が受益者になる」だけじゃなく、「みなが負担者になり、みなが受益者になる」ことでも所得格差は小さくできるんだ、ということです。

え? どうして? いえいえ。これは当たり前のことなんです。

年収100万円の人が100万円分のサービスを受け取れば100%の所得増になります。でも、年収1億円の人が同じサービスを受け取っても、1%の増加にしかなりませんよね。人間を等しく扱うと、所得の改善効果は貧しい人のほうに大きく出るのです。

では貧しい人にも税をかける、この点はどうでしょうか? 図をもう一度見てください。Aさんは、払った税金よりも多くの受益がありますよね。ここがポイントです。

税率は同じでも、そもそも所得や消費の額が違えば、税の負担額は変わってきます。

お金持ちは収入が多いのでベンツや土地を買います。貧しい人は少ない税、お金持ちはたくさんの税を払うけど、受益は同じ。格差が小さくなるのも当然です。

私たちは、税の負担だけで、貧しい人たちの痛みを考えがちです。ですが、もらうほうもセットで考えないと、本当の痛みはわからないのです。

貧しい僕と超リッチなみなさんがどちらも1000円払うとします。お金持ちと僕が同じ負担? そう思いますよね。

でも、もし僕が二人の払った2000円を全部もらえるとしたらどうでしょう。僕が得をしているのは、子どもにだってわかる話です。

サービスを受け取る喜びと税の痛み。この両者のバランスを考えなければ、社会全体の公正さなんて語れっこないのです。

国際的にはオーソドックスな考え方

以上の考え方は、国際的にはオーソドックスなものなんです。僕の知人でアメリカのノースウェスタン大学で教えているモニカ・プラサドさんは、ニューヨーク・タイムズで次のように言いました。

「貧困と不平などの削減にもっとも成功した国々は、富裕層に課税し、貧困層に与えることでそれをやりとげたのではない」

まさにそのとおりです。EUに加わっているヨーロッパの国々を見てください。日本の消費税にあたる付加価値税の最低税率は15%です。

ですが、イギリスと旧東欧諸国を除くと、日本よりも税率の高いこれらの国々のほうが、所得格差は小さいです。

なぜそうなるのでしょうか。日本では、消費税は貧しい人の痛みが大きな税だと言われるだけに、意外に聞こえるかもしれません。

実は、お金持ちはほんのひとにぎりしかいません。どんなに多額の税をかけても、入ってくる税収はたかがしれています。

ですから、貧しい人も含めてみんなが払う付加価値税を使い、豊かな税収をいかして幅広い層の暮らしを支えつつ、同時に貧しい人たちの暮らしも守っていく、そういう現実路線がEU加盟国ではとられたのです。

フランス主税局の官僚だったフィリップ・ルビロアさんは、1972年、いまから50年以上前の来日講演で次のように話しています。

「逆進的な税しか採用していない国でもその収入で社会保障を積極的に行っているのであれば、その国全体としては逆進的ではない」

このヨーロッパの常識がなかなか日本には通じないのがしんどいところです。

もちろん、お金持ちにより多くの負担を求めることには、僕も大賛成です。ただし、ひとつだけ、重要な事実を確認しておきたいと思います。

政治学者ケネス・シーヴとデイヴィッド・スタサヴェージは、『金持ち課税』という本のなかでこう指摘しています。

戦後しばらくのあいだ、お金持ちへの重税と貧しい人たちへの保障の組みあわせに説得力があったのは、戦争中に犠牲を払った者は補償されるべきであり、戦争から利益を得たものは課税されるべきだという考え方があったからだ、と。

「金持ちに重たい税を」という常識は、時間の流れとともに先進国のなかで風化していきました。日本でも貧しさの記憶が人びとから消えつつあります。

だからこそ、1980年代以降、先進国では富裕層や大企業への重税が少しずつ緩和され、日本もその例外ではいられなかったのです。

痛みの分かちあいを

僕にとって大事なのは、つらい思いをしている人たちのいま、です。

『ベーシックサービス:「貯蓄ゼロでも不安ゼロ」の社会』(小学館新書)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

金持ち憎しだけでは税は取れませんし、税が取れなければ、生活に苦しんでいる人たちの暮らしは改善できません。

だからこそ、金持ちを批判する日本の左派は「借金をしてバラまけ」と言うわけですが、そうした政策は多くの問題を含んでいます。

税制改革の基本的な方向性は、消費税を軸として十分な税収を確保しながら、低所得層もふくめて負担者になるわけですから、きちんと応分の負担をするよう、お金持ちや大企業を説得する、そんな《痛みの分かちあい》なのではないでしょうか。

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